1999 SPRING vol.58
文:杉山 通敬 / 画:渡辺 隆司
■日本アマチュア選手権史上
 屈指の名勝負


 昭和57年の頃『ラジオ日本』に「ウィークエンド ゴルフ」という三好徳行さんがホストのトーク番組があった。光栄にもわたしは聞き役を仰せつかり、いろいろと面白い話を聞かせて頂いた。なかでも昭和28年度『日本アマ』2回戦の話が印象深い。
 周知のように三好さんはこの年から30年まで『日本アマ』に3連勝するのだが、当時の日本は敗戦後の復興期にあり、さまざまな面でアメリカの援助を受けていた。何かにつけ、アメリカに追随するところがあったのだ(これは今も変らないかー)。
 2回戦で当たった三好さんの相手はアメリカ駐留軍将校の″キャプテン・ゴー″だった。ゴーのほかにも、決勝トーナメントに進出した16名中6名はアメリカ人(主として軍人)であったから「日米決勝」の称相を呈した。ゴー(Gough)は「日本流に言えば六尺豊かな長身で飛ばし屋だった」という。試合は川奈富士コースで行われた。
「練習場へ行くと、彼はすでにボールを打っていた。150ヤードあたりにキャディを立たせ、9番アイアンで足元までキャリーさせていた。わたしだと5番か6番の距離だ。そのことを確かめただけで自分の練習をした。それ以上、彼の長打ぶりを見ても惑わされるばかりだと思ったからだ」
 試合は11番を終わったところで、三好さんの3ダウンとなり敗色濃厚になりつつあった。12番は左ドッグレッグ、距離は400ヤード。ゴーが曲り角をカットして豪打を飛ばしたあと、三好さんはわが道を行くが如くに正規のルートに飛ばす。第2打はゴーは9番、三好さんは3番アイアン。
「相手がいくら飛ばしても、それに惑わされたら自分のペースを乱す。ゴルフではマイペースを乱されるのが最もこわい。彼より先にグリーンに乗せ、スキのないパットで対抗するより策はなかった」
 このホールは共に1パットのバーディだったが、三好さんはつづく4ホールを連取して勝ったのである。小寺酉二競技委員長は「日本アマ史上屈指の名勝負」と讚えたとか。そして三好さんはこう言った。
「何かにつけアメリカさんに押えつけられていた時代だったから、日本の連中はみんなで溜飲をさげてくれたんだ」

(三好徳行/明治44年生まれ。昭和28年から30年まで「日本アマチュア選手権」で3連覇を達成。また、昭和16年には「日本オープンゴルフ選手権競技」でもローエストアマチュアに輝いている)
杉山 通敬(すぎやま・つうけい)
1935年生まれ、東京都出身。ゴルフダイジェスト編集長を経て、現在フリーのゴルフライター。主な著書に「ゴルフ花伝書」「中部銀次郎ゴルフの心」「中村寅吉 気のゴルフ」「ジャック・ニクラウスの魅力」「マスターズを創った男」などがある。

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