2001 MARCH vol.65
日本のゴルフ場は、この100年で目覚ましく進化してきた。今号では、これまであまり取り上げられていない人物や出来事を中心に、これまでのゴルフ場の歴史を振り返ってみたい。
1900年代
英国人による日本のゴルフの始まり
1910年代
日本人のための日本人によるゴルフ場の誕生
1920年代〜1930年代前半
もっと難しく、もっと広くゴルファーの飽くなき要求が実現
1930年代後半〜1940年代前半
発展の末に戦争を迎えたゴルフ場の悲しい運命
1940年代後半〜1970年代前半
戦争を乗り越えてゴルフが国民スポーツへ
1970年代後半〜現在
バブル経済がもたらしたものは
1901 ●7月、六甲山頂に日本初の4ホールのコースができる
1903 ●5月、六甲の4ホールが9ホールとなり、神戸GCが創立
1904

●10月、神戸GCが9ホールから18ホールに増設。
●イギリス人、W・J・ロビンソンによって横屋GAが設立(1913年に解散)
◆日露戦争がおこる

1906 ●11月、横浜・根岸競馬場内に日本初の芝生のパッティンググリーンを採用したニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション根岸コース(NRCGA)が設立
1909 ●7月、日本初の対外競技・インターポート競技が神戸GCで開催
1913 ●8月、長崎県に日本最初のパブリックコースである雲仙GCが設立
1914 ●1月、W・J・ロビンソンが鳴尾GAを設立。
●5月、(社)東京倶楽部の会員で組織された「東京ゴルフ会」によって、東京GCが設立
◆サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発
1916 ●5月、当時満州の大連に星ヶ浦GCが設立
1917 ●7月、神奈川県に日本初の民営パブリックコースである仙石原GC(現・仙石GC)が設立
1919 ●6月、台湾の淡水旧練兵場に台湾GCが設立
1920 ●皇室専用コースとして新宿御苑内に6ホールのコースが作られる。1922年に9ホールへ増設。
●夏頃、鳴尾GAが閉鎖し、新たに鳴尾GCが創立。
●長野県に軽井沢GC(旧軽井沢GC)が設立。
●10月、兵庫県に舞子CCが設立。この時横屋GAでキャディマスターだった福井覚治が日本初のプロゴルファーとなる
1921 ●6月、当時、朝鮮・京城竜山孝昌園に京城GCが設立
1922 ●10月、神奈川県に程ヶ谷CCが設立(23年に日本初の18ホールコースに増設)。
●11月、九州最初のメンバーシップゴルフ場である福岡GC(現・福岡CC)が設立。
●年末、旧横屋GA跡地に、甲南GCが設立
1923 ●6月、広島県に中国地区初のゴルフ場である二葉GC(現・広島GC)が設立
◆関東大震災がおこる
1924 ●6月、現在の東京都日野市に武蔵野CCが設立。
●10月、東西7倶楽部によってJGAが設立
1925 ●4月頃、昭和天皇や皇族のために赤坂離宮に4ホールがコースが作られる。
●茨木CC(東C)が設立
1926 ●6月に京都CC(1944年閉鎖)、8月に宝塚GC(現・宝塚CC)が設立。
●10月、武蔵野CCが千葉県の六実へ移転
1927 ●11月、北海道に函館GCが設立
1928 ●4月に長崎GC、小樽GC、5月に川奈ホテルGC(大島C)が設立。
●宮城内吹上御苑に4ホールのコースがつくられ、昭和天皇と皇后がプレー
1929 ●9月、中部地区で初のゴルフ場である名古屋GC(愛知県)が設立。
●10月、日本で初めて施設内に練習場を完備した霞ヶ関CC\が埼玉県に誕生。また同月、武蔵野CCが六実に続き、藤ヶ谷C(9ホール)を増設(30年18ホール完成)。
●福岡県がゴルフ税を創設
◆世界恐慌がおこる
1930 ●4月に有馬GC(現・三田GC)と室蘭GC、8月に別府GC、10月に我孫子GC、11月に藤澤CCが設立
1931 ●5月、日本初の企業独自のコースである玉三友GCが岡山県に誕生。
●C・H・アリソンが東京GC、広野GCなどの設計を手がける。
●6月に等々力GCと旭川GC、7月に熊本GC、8月に洞爺湖GC、9月に相模GCが誕生
◆満州事変がおこる
1932 ●東京GCが駒沢から朝霞へ移転し、アリソン設計の朝霞Cが誕生。
●6月に広野GC、鷹之台GC、六郷GC、軽井沢GC、新居浜GC、千葉CCが設立
1933 ●静岡県が川奈GCに対して、税収入増を狙い課税。
●札幌GC、愛知CC、植田山GC、浮間ヶ原GC、砧GCが設立
1934 ●萩山ピースGC、門司GC、川崎GC、日音GCなどのゴルフ場が設立
1935 ●和歌山GC、神崎川G、山田公園GL、富士GC、仙台CC、久里浜GCなどが設立
1936 ●12月、川奈ホテルGCの富士Cが誕生。その他、高知GC、信太山GC、淀川GC、那須GCが設立
1937 ●高松GC、岩手GC、石山CC、唐津GC、小金井CC、松山GC、徳島GC、霞ヶ関PGが設立
◆日中戦争が始まる
1938 ●ゴルフ入場税が国税に定められる。
●大阪GC、秩父CC、熱海GC、盛岡GCが設立
1939 ◆第二次世界大戦が始まる
1940 ●東京GCが秩父CCと合併し、朝霞から狭山へ移転
1941 ●ゴルフ入場税が20%から50%へ引き上げ
1942 ●10月、JGA解散
1945 ◆8月、第二次世界大戦終戦
1946 ●8月、戦後最初のゴルフ場である太田ゴルフ場(米軍技術部の設計)が群馬県に誕生。
●那須GC、鳴尾CCがゴルフ場を再開
◆日本国憲法公布
1948 ●11月、戦後初の日本人による新設ゴルフ場の伊東観光Gが設立
1949 ●12月、JGAが日本ゴルフ連盟として加盟倶楽部11で復活
1951 ◆日米安全保障条約締結
1952 ●日米平和条約発効によって、進駐軍に接収されていた程ヶ谷CC、東京GC、霞ヶ関CC、小金井CCが返還される
1954 ●現在の(社)日本ゴルフ用品協会が設立
1955 ●東京GCで日本初のウインターグリーン(サブ・グリーン)がつくられる。
●ゴルフ場数が58に到達。ゴルフ人口も20万人に増大
◆高度経済成長期が始まる
1957 ●4月、ゴルフ施設利用税(1人1日300円)徴収開始。
●7月、日本プロゴルフ協会が設立。
●10月、カナダカップ(現・ワールドカップ)が霞ヶ関CCで開催。日本チーム(中村寅吉、小野光一)が優勝。個人戦でも中村が優勝
1958 ●4月、ゴルフ倶楽部法人税の賦課
1961 ●12月、(社)全日本ゴルフ練習場連盟設立
1962 ●5月、(社)日本パブリックゴルフ場事業協会設立
1967 ●6月、日本女子プロゴルフ協会がPGA女子部として発足(1974年に独立)
1969 ●9月、(社)日本ゴルフ場事業協会が設立
1970 ●国内ゴルフ場数が620に到達
1972 ●ゴルフ施設利用税が1人1日600円に増税
1973 ●3月、JGAが日本体育協会から退会
◆10月、オイルショック
1974 ●ロバート・トレント・ジョーンズ親子設計の軽井沢72Gが誕生。以降、ジャック・ニクラウス、ピート・ダイ、ディズモンド・ミュアヘッドら外国人設計者たちが台頭する
1976 ●9月、(社)ゴルファーの緑化促進協力会が設立
1982 ●5月、JGAゴルフミュージアムを兵庫県の広野GC内に設立
1983 ●ゴルフ施設利用税が1人1日1,100円の定額
1987 ●6月、総合保養地域整備法(通称「リゾート法」)が使用され、ゴルフ場開発、新設ラッシュ。
●10月、JGAが文部省より財団法人として認可される。
●4月、ゴルフ場関連事業協会が設立
◆バブル経済が始まる
1989 ●4月、娯楽施設利用税がゴルフ場利用税と改訂。
●7月、日本ゴルフジャーナリスト協会が設立
1990 ●10月、JGA、日本ゴルフ場事業協会、ゴルファーの緑化促進協力会、日本パブリックゴルフ場事業協会の4団体により、日本ゴルフ関連団体協議会が設立
◆バブル経済崩壊
1991 ●3月、JGAが日本体育協会に復帰。また、(社)日本ゴルフトーナメント振興協会が設立。
●11月、日本芝草研究開発機構がグリーンキーパー資格認定制度を発足
1993 ●6月、日本ゴルフコース設計者協会発足
1994 ●JGA加盟倶楽部数が1398に到達
1998 ●ゴルフ関連15団体がゴルフ場利用税撤廃署名運動を実施。
●国内ゴルフ場数が2000に到達
1999 ●2月、日本ゴルフツアー機構設立。
2000 ●4月、民事再生法施行。これにより、倒産するゴルフ場が増加。
●国内ゴルフ場数が2300を突破
2001 ●1月、ゴルフサミット会議から日本ゴルフ100年祭がスタート
■参考文献 『日本のゴルフ史』(西村貫一著)
『日本のゴルフ60年史』(摂津茂和著)
『日本ゴルフ全集
日本ゴルフコース発展史(1)〜(3)』(井上勝純著)
『日本ゴルフ全集 人物評伝編』(井上勝純著)
JGA図書室所蔵の各倶楽部年史、各連盟史
■写真協力 神戸ゴルフ倶楽部、東京ゴルフ倶楽部
程ヶ谷カントリー倶楽部

 
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