2001 JUNE vol.66

 1980年代までヘッド素材の主流を占めてきたパーシモン。しかし、日本国内でパーシモンの資源不足の声が囁かれ、次なるドライバーの素材として注目を浴びたのが、アメリカで誕生したメタルドライバーだった。このメタルドライバーのルーツを探ると、一人の日本人に辿り着くことはあまり知られていない。

 その人物の名は松木喜太郎。富山県高岡市にある「サンケイゴルフ」という、トリニティブランドで成長中であった企業の社長だ。同氏は、パーシモンに変わる素材としてメタルに着目。しかし、あくまでもパーシモンヘッドのフィーリングを維持することに腐心し、メタル素材の研究・開発に従事していた。そして1975年5月、苦心の末にメタル中空構造ドライバー「TSURUGI(つるぎ)」を誕生させた。日本アルプスの名山から名付けられた、当時としては革新的なドライバーである。

 そのつるぎのコピークラブ「サンバード」を、後にテーラーメイド社を創始するゲーリー・アダムスがアメリカのとあるドライビングレンジで打ってみた。その時、“これは素晴らしいドライバーだ”と感銘を受ける。彼はサンバードに改良を加え「ピッツバーグ・パーシモン」という名で売り出した。ピッツバーグで生まれたパーシモンヘッドという意味を込め、こちらもパーシモンの打感を継承すべく開発されたメタルヘッドドライバーなのだ。このクラブをいち早く手にしたリー・トレビノがツアーで大活躍したことでメタルヘッドへの関心が一気に高まった。

 “木材から金属へ”。まさにクラブヘッドの「明治維新」ともいうべき革命は、類い希なる情熱と勇気を持った男の手によって成就したのである。

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