2001 SEPTEMBER vol.67
 この時の月例も、そして戦争がゴルフを中断させ、戦後復活した競技も例外なしに、賞金のすべては、各ゴルフ倶楽部に所属するメンバーのカンパによってまかなわれていた。戦後の月例競技では、食料品が賞品となることもあった。

「お客さんがお金を出してくれたんです。自分の可愛がっているプロの力を発揮させようと、我孫子のメンバーなら我孫子のプロに勝って欲しくてお金を出していたのだと思います。もちろんプロになってそこそこの立場につくと、我々自身もお客さんにトーナメントの賞金を出してもらうようお願いをしました。つまり、出場選手が自ら賞金を集めて試合を行う。それが当たり前の時代だったのです」と林は言う。この時期の月例競技の場合、賞金総額100円、優勝50円、2位30円、3位20円で後の4位以下は賞金ゼロが普通だったという。

 戦後最初の競技となったのは1948年の関東プロ。在日米軍の協力もあって開催することができた。この時、月例はまだ復活していなかった。

「プロゴルファーの先輩である山本増二郎さんが復員してきて、競技再開の話が持ち上がったんです。それまでは所属するゴルフ場でメンバーさんがお金を出し合い小さなコンペを開催し、成績が良ければお金をもらえました。またレッスンをしたりクラブなどを直したりしてアマチュアの皆さんから給料をもらっていたようなものでした」(林)と苦しい時期の真っ只中で、関東プロ開催の話が現実味を帯びてきた。
「それは嬉しかったですよ。もちろん最初の仕事は賞金集めです。以前同様良くしてくれるお客さんにお願いして、出場全選手が言わばカンパを募りました。その結果優勝賞金1万円の大きな大会になりました」と林。ちなみに開催コースは「18ホールが完全な形で残っていた東京ゴルフ倶楽部」だったという。


Back

Next
閉じる