2002 OCTOBER vol.71
ターニングポイント
 7月13日、午前7時30分。2002年のアマチュア日本一を決める戦いが始まった。
 序盤は静かな立ち上がりとなった。1番ホール、2番ホールは両者ともにパーをセーブ。互いに一歩も譲らず、オールスクエアで3番ホールを迎えた。

 先手を取ったのは藤田だ。ティショットできっちりフェアウェーをキープした藤田に対し、藤島のティショットは右のラフへ。藤田は続くセカンドショットで、正確にグリーンを捉えた。一方の藤島はグリーンを外してしまう。ここで藤田は慎重にバーディパットを沈め、1アップとした。

 試合前、関係者の多くは「攻めの藤島対守りの藤田」という試合展開を予想していた。攻撃的なゴルフで積極的にバーディを狙う藤島と、堅実なプレーで常に安定したゴルフに終始する藤田。言うなればこの二人のプレースタイルは、正反対といっても過言ではない。

 その「守りの藤田」が先にバーディを奪い、藤島は意表をつかれた格好となった。この藤田のバーディを皮切りに、試合は少しずつ動き出す。
 続く4番、5番、6番ホールは両者ともパーを取り、藤田が1アップのリードを保ったまま7番ホールに突入。ここで藤田がパーセーブしたのに対し、藤島はパーパットを打ちきれず、ボギー。差は2アップに広がった。

 藤田リードで迎えた8番ホールは、236ヤードのパー3。ここでも藤田はワンオンに成功。そして藤島。嫌な流れを払拭しきれないままティショットを放った藤島のボールは、グリーン手前のバンカーに。ここで両者の差はさらに広がるか、と思われた。しかし、藤島の渾身のバンカーショットは、吸い寄せられるようにカップへと沈んだ。

 熊本県出身の藤島にとって、同じ九州の福岡県はいわば地元。藤島を応援しようとかけつけた大勢のギャラリーは、このチップインバーディを大歓声で讃えた。試合の流れを変えるには、十分な一打だった。結局、藤田はバーディパットを外し、2人の差は1アップに縮まった。

 この時の状況を、藤島はこう振り返る。
「アゴが高いバンカーだったので、カップの位置は見えませんでした。せめてピンに寄せて藤田さんにプレッシャーを与えられればと。この日初めてのバーディだったので、いつものリズムを取り戻せましたね」。

 きっかけをつかんだ藤島の勢いはとまらない。続く9番ホールでもバーディを奪取。藤田はバーディを奪えず、あっという間に試合は振り出しに戻った。流れは間違いなく藤島に傾いた。

 だが、藤田は冷静だった。10番ホール。「ここが勝負どころ」と、一気に畳み掛けようとする藤島に対し、藤田は自分の持ち味でもある「パープレー」に徹し、狙い通りパーを取った。すると今度は藤島のリズムが微妙に狂い出す。藤島はパーパットを決められず、このホールをボギーとし、再び藤田が1アップとなった。
 藤田はその時の心境をこう語る。
「8番、9番の連続バーディで、藤島君が乗ってくると思いました。このままトントン行かれるかなと考えていた矢先の自滅。ラッキーだと思いましたね。このワンクッションが冷静になるきっかけとなりました。36ホールの中のキーポイントだったと思います」。

 続く11番ホールこそ藤田はボギーとし、再び藤島に並ばれるが、13番ホールで今度は藤島がボギーを叩き、藤田の1アップ。さらに15番ホールで藤田がバーディを奪い、結局藤田が2アップのリードを守り、前半の18ホールを終えた。


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