2002 OCTOBER vol.71
優勝の重圧
 藤田に2アップのリードを許した藤島。前半の18ホールを終え、何を思ったのか。
「応援に来ていた父親からは『テークバックのリズムが速くなってる。もっとゆっくり振れ』と言われましたね。それと大学の監督からは『相手はそんなに攻めてこないから、お前も無理して攻める必要はないんだぞ』という言葉をもらいました。でも藤田さんに2アップリードされていたので、やはり攻める意識を完全には捨て切れませんでした」。

 藤島にはどうしても負けられない理由があった。地元九州開催ということもあり、普段は自分の試合を見に来られない母親が会場に来ていたのだ。母親の前で見せる、自身初の晴れ舞台。クラブを握る手にも自然と力がこもる。

 しかし、その「攻める意識」が裏目に出てしまう。後半戦、立ち上がりの大事な1ホール目で、藤島が放ったティショットは無情にも林の中へ。藤島はこのホールもボギーとし、藤田のリードは3アップに広がった。
「残り17ホールで2アップから3アップになったのは大きかったです。藤島君がミスをして取ったリードなので、『攻めなくてはいけない』という状況ではなかった。精神的にもあまり追い込まれませんでした」と振り返る藤田。だが、藤島も必死に食い下がり、23ホール目で藤田との差を1アップにまで縮めた。

 ところが、「このチャンスに追いつかなければ」と考えた藤島を、再びプレッシャーが襲う。24ホール目でまたしてもボギーを叩き、せっかく縮めた藤田との差が2アップに広がる。掴みかけていた日本アマのタイトル、しかし残るホールはあとわずか。20歳の藤島にとって、一度狂った歯車を修正することは、容易ではなかった。藤島は続く25、26ホール目も連続ボギーを叩いてしまった。

 藤田のリードは、10ホールを残して4アップ。大きなリードを奪った藤田だが、勝ちを焦る様子も、油断も見あたらなかった。リズムを変えることなく、普段と変わらぬパープレーに徹した。

 一方の藤島も土壇場で集中力を発揮。両者共に27ホール目から32ホール目までをパーで切り抜け、藤田4アップのままついにドーミーホールを迎えた。運命の33ホール目。藤田がこのホールを勝つか引き分ければ、藤田の優勝が決まる。いよいよ藤島は崖っぷちに立たされた。

 33ホール目は、150ヤードのパー3。両者ともに1オンに成功し、バーディトライを迎えた。先に打ったのは藤田。下りの4メートルを慎重に狙うが、ボールはカップを蹴る。しかし、返しのパットは上りの1メートル。難しいラインではない。これまでのプレーぶりから、藤田がパーを取ることは、ほぼ決定的。藤島もギャラリーもそう感じていた。

 これで藤島は是が非でもバーディを取らなければならない状況に追い込まれた。距離は4メートル。こちらもそれほど難しいラインではない。一度、二度、大きく深呼吸し、藤島はアドレスに入った。祈りを込めて静かにパターを押し出す。が、ボールはカップをわずかにそれて止まった。この瞬間、藤島は敗北を確信し、帽子を脱いだ。あとは藤田のパーパットが決まるのを見届けるだけだった。

 誰もが藤田の優勝を確信したその時。辺りがどよめく。なんと、藤田が1メートルのパーパットを外したのだ。ギャラリーのざわめく声に紛れ、藤田の声が響く。
「しびれた」
 藤島は、帽子を深くかぶり直した。


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