2003 JANUARY vol.72
11年ぶりに下関ゴルフ倶楽部で開催された日本オープン。試合前から「本命不在」と言われていた通り、何人もの選手が拮抗する混戦となった。このサバイバルレースを制したのは、意外にも日本でまだ一度も勝ったことのない選手だった。
>>> 競技成績・日本オープン
 1991年に次いで11年ぶり2度目の日本オープン開催コースとなった下関ゴルフ倶楽部。全長6867ヤードは、前回より40ヤードほど短くなっているが、当時パー5とされていた1番、12番がパー4として使われるために、パー72だったのがパー70のコースに生まれ変わってメジャートーナメントを迎えることになった。

 前回の優勝者は中嶋常幸。スコアは2オーバーパー290。プレーオフで須貝昇を下しての4回目の栄冠だった。優勝スコアがオーバーパーになったのは天候の要因も手伝っていたが、プロツアーではベント芝のグリーンが多くなっている中で、下関のコウライ芝のグリーンに苦しめられたことも見逃せなかった。今回もグリーンはコウライ芝だが、スティンプメーターで測るスピードやコンパクションはベントグリーンに劣らない仕上がりになっていたので、初日から好スコアが続出することになった。


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