2003 JANUARY vol.72
2002年の日本女子オープン。大会を最も湧かせたのは、メキシコから来た20歳の少女だった。その名はロレーナ・オチョア。世界ジュニアで5度の優勝経験を持つこの実力者は、海外デビューの地として日本の箱根を選んだ。第1日目からトップに立つと、その後も安定したゴルフで堂々の3位フィニッシュ。静寂に包まれた箱根の地に、新しい歴史が刻まれた。
>>> 競技成績・日本女子オープン
 黒い瞳の深遠に初々しさと可能性がかいま見えた。ロレーナ・オチョアの存在感。

 プロとなって初の海外遠征に日本を選んだことの驚き。箱根にその姿を現し、シャープなスイングとけれんみのないプレーをみせたとき「よくぞ来てくれた」と、抱きしめたいくらいの親しみと誇らしさを覚えた。
 1981年11月15日、メキシコ・グアダラハラ生まれ、大会時は20歳。

 世界ジュニアで5回優勝。99年全米女子アマ4強進出。直後にアリゾナ大留学、2年間で20戦12勝すると2002年に退学し、すぐプロに転向した。驚いたことに米下部ツアーに参戦すると10戦で3勝、2位4回で賞金女王、最優秀選手、もちろん最優秀新人。来季の米レギュラーツアーのシード権をあっさりと手にした。
「経験と好奇心を求めて日本で試合をしたかった」。

 話題のホープは米下部ツアーが夏までに終了すると、試合を求めシーズンたけなわの日本にやってきたのだった。

 日本女子オープンには「自分の意志」で、出場を打診した。日本ゴルフ協会は即座にその意欲をかった。特別承認選手としての出場であった。今後ホープを語る上で必ず語り継がれる、とてもいいエピソードの誕生である。
 試合のオチョアは第1日、1イーグル、6バーディの8アンダーパーで2位に2打差の首位、2日目も1アンダー、通算9アンダーパーでトップと、期待以上の活躍。3日目に台湾の黄玉珍が10アンダーパーまでスコアを伸ばしたのに対し、オチョアはイーブンパー73と足踏みして2位へ後退、最終日の追い上げもならず、優勝した韓国の高又順から遅れること7打差の3位。だが、この活躍を残念がるのはおかしい。
 赤星四郎設計の箱根カントリー倶楽部が開場して47年を経て初めて開いた全国規模の大会。季節はずれの台風が火曜日に襲来、増水でたまらず芦ノ湖が放水をするとコースを横切る用水路が氾濫、箱根はいったん、本当に水没した。コースは芦ノ湖より水位が低い位置にある。不眠不休の関係者の復旧、回復作業は意地と誇りに支えられ迫力があった。

 オチョアの存在感と箱根の満を持した伝統の力。いいマッチングだった。


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