2003 DECEMBER vol.74
トップアマの自信を確かなものに

 そして迎えた2003年の日本女子アマチュアゴルフ選手権競技。あれだけこだわっていたタイトルを目前にしても、宮里の気持ちは不思議と落ち着いていた。
 「2002年に準決勝で負けた時は勝ちたい意識が強すぎて気持ちがシビアになりすぎてました。今振り返ってみれば完全に空回りしてた感じです。だから2003年は悔いが残らないように、楽しんでプレーしようと思いました」。
 ゴルフを楽しむ、という原点に立ち返った宮里は強かった。予選ラウンドをメダリストで突破し、迎えた最初の正念場は準々決勝の横峯さくらとの一戦。ナショナルチームでともに戦い、心を通わせてきた同い年の友達は、たびたび宮里の優勝を阻んできた最大のライバルでもある。
 「さくらとは正直やりづらかったですけど、いつかは戦わなくちゃいけない相手なので気持ちを割り切って戦いました。その時も、あまりシビアにならないようにすることを心がけました」。
 勝つことにこだわりすぎて相手を意識することは、もうなかった。自分のゴルフに徹した宮里は横峯を退け、最大の山場である古屋京子との決勝戦も1アップの差で逃げ切り、本大会初優勝を決めた。極限のデッドヒートを制することができたのは、クィーンシリキットカップやアジア競技大会で接戦をものにした経験や、前回大会で気負いすぎて負けた経験があったからこそ。1番欲しかった優勝カップを手にした宮里は、満面の笑みで記念撮影を行った。

 だが、その笑顔の裏には人知れず悩んだ過去がある。それは幼い頃から「天才少女」と注目され続け、常に周囲の期待と評価の対象にさらされてきた宮里ならではのものかもしれない。
 「アマチュア競技の大きなタイトルを獲れていないのに、昔から『藍ちゃんは強い』と言われてて……。でも私は自信がなかったんです。強いと言われる根拠というか、確かなものがなかった。それが日本女子アマのタイトルを取れたことで、確信を持てました。そしたら気持ちにもすごくゆとりが出てきて、女子アマのタイトルっていうのはこうも気持ちを変えられるものなんだなあって実感したんです」。
 それから2ヶ月後に行われた日本ジュニアゴルフ選手権競技も、高校3年生の宮里にとってはタイトルをとる最後のチャンス。同大会でまだ一度もタイトルを手にしたことのない宮里にとって、この大会は日本女子アマと同様に手に入れておきたいタイトルだった。様々な経験を経て成長した宮里の一番の敵は、もはや周囲の選手よりも、自分自身の心に潜む「甘え」だった。
 「この時点で日本女子アマのタイトルを獲っていたので、正直なところちょっと満足していた部分がありました。でもお父さんにはそれが見えていたみたいで、私にプレッシャーをかけてくれました。それでまた気持ちを立て直すことができたと思います」。
 競技の日程も宮里にとっては幸いした。2002年は全国高等学校ゴルフ連盟の競技と日本ジュニアゴルフ選手権競技が2週連続で開催されたが、2003年は中1週のインターバルがあった。宮里はその1週間を利用して故郷の沖縄に帰省。父・優氏がマンツーマンで指導にあたり、万全の調整を行うことができた。その甲斐あって宮里は日本ジュニアでも、念願のタイトルを手にすることができた。

 「日本ジュニアの後に女子トーナメントのヨネックスレディスに出場させていただいたのですが、その時はなんだかすごく自信があったんです。日本女子アマのタイトルに加え、日本ジュニアのタイトルを獲れたことで、本当に気持ちにゆとりが持てるようになりました」。
 このヨネックスレディスで宮里は最終日最終組でまわり、2位タイに入るという快挙を成し遂げる。しかし、今となるとこの快挙も単なるプロローグにすぎなかった。4週後に行われた「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」でアマチュアとして30年振りに優勝をおさめた宮里はその夜、父と母と家族3人で焼き肉を食べながら、ささやかな祝勝会を開いた。語っても語り尽くせない喜びが次から次へと沸き上がり、家族3人の団らんは夜遅くまで続いた。兄二人からの祝福の電話も宮里を喜ばせた。宮里と時を同じくして男子トーナメントで優勝争いを演じた次男・優作は、自分よりひと足早く優勝を果たした妹を「宮里家の稼ぎがしらになってください(笑)」とからかった。長男・聖志も長電話で妹の快挙を祝福した。

 宮里は家族の存在についてこう語る。
 「お父さんの存在は皆さん知ってらっしゃるでしょうけど、私にとってお母さんの存在がすごく大きいです。張りつめている気持ちをリラックスさせてくれるのはやっぱりお母さん。ゴルフの調子が悪くてお母さんに当たっても、全部受け止めてくれる」。
 そして10月7日。宮里は母校の東北高でプロ入りを宣言。優勝した夜、家族3人で祝勝会をした時から、気持ちはすでに決まっていた。
 「まさかこのような形でプロ入りするとは思いませんでした。高校卒業後は、大学進学か渡米を考えていたので……。ずっと進路に迷っていた矢先の優勝だったので、『プロになりなさい!』と言われてる気がしました(笑)。波に乗れる時は乗る、これはお父さんも私も同じ気持ちです」。

 11月14日、千葉県で行われた女子プロトーナメントの伊藤園レディスで宮里はプロとしてデビューを果たした。100人を超すメディア、多くのギャラリーが見守る中、第2の人生の始まりを告げるティショットを放った。
 「自分でも意外なほど落ち着いていましたが、予選カットのボーダーになった時、すごい緊張してきちゃって。いつもの気持ちでプレーしようと心掛けてはいますが、やっぱり周りの雰囲気が昔とは違うので難しい部分はあります」。
 プロデビュー戦で予選通過を果たせなかった宮里だが、自分の未来は決して悲観していない。常に前向きな姿勢は、ゴルフも人生も同じだ。
 「9月からめまぐるしく環境が変わって、ついてゆくのがやっとという感じでした。プロ宣言してから今年はあまり良い成績を残せませんでしたが、2004年はできれば1勝したいですね。まだスタートをきったばかりなので、長い目で将来を見ています。今すぐ成績を出さなきゃいけないと思うのは一番良くないこと。『灯台もと暗し』なんて言いますけど、逆に足下ばかり見てると先が見えなくなってしまう。この気持ちはアマチュアの時から変わってません」。
 プロになった今だからこそ、アマチュアの気持ちを忘れずにプレーしたい。宮里が真価を発揮するのはこれからだ。


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