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+ 【アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップについて】
[2020/05/08]
2017年優勝 片岡大育
2018年優勝 池田勇太
2019年優勝 浅地洋佑
5月7日から10日の4日間、千葉県印西市の総武カントリークラブ総武コースで開催を予定していた「アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップ2020」は、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、開催を中止しました。ここで大会主催者の一つであるAPGC(アジア太平洋ゴルフ連盟)が掲載した記事の一部を和訳で紹介させていただきます。本選手権の歴史と背景を振り返ることができます。来年大会を、ゴルフファンの皆様も心待ちにしていただければと思います。

《APGCとアジアパシフィックオープンダイヤモンドカップ》
アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)は多くの素晴らしいトーナメントを開催していることを誇りとしていますが、その中でもダイヤモンドカップは一番輝かしい特徴を持つ大会です。アジアパシフィックオープンチャンピオンシップダイヤモンドカップは、日本ゴルフツアー機構とアジアンツアーが主管するプロトーナメントでもありますが、歴史と伝統があるというだけでは十分な表現とは言えません。
ダイヤモンドカップとしては、1969年にダンロップトーナメントとして始まり、過去50年間にわたって変化、挑戦、そして困難に耐えてきました。
過去においてその複雑な関係の中でいろいろな局面があったようですが、この大会が現在アジアパシフィックオープンとして誇りと強い意志を持ち続けているという事実は、何よりも日本ゴルフ協会(JGA)や大会関係者の手腕と惜しみない支援の証であり、この素晴らしいトーナメントをまとめてきたことに敬意を表します。

変わり続ける世界の中で、パートナーシップの変遷などを通じてこのトーナメントは進化してきていますが、JGAはその間も変わることなく日本オープン、日本女子オープン、日本シニアオープンと共に、JGAの4つのナショナルオープンの1つとしてアジアパシフィックオープンを継続してきました。現在のアジアパシフィックオープンダイヤモンドカップが世界から認められ、日本やアジア周辺のゴルファーやゴルフファンの心の中に特別な地位を築いていることも当然のことでしょう。昨年からは優勝者に、全英オープンへの出場資格が与えられるようになったのもその表れであり、出場選手にとっては非常に大きなモチベーションになっています。

ダイヤモンドカップの歴史は、ダンロップトーナメントとして始まり、その後51年を経てきた中で、三菱ギャラントーナメント、三菱自動車トーナメント、ダイヤモンドカップトーナメント、三菱ダイヤモンドカップゴルフ、ダイヤモンドカップゴルフ、そして2014年からはアジアパシフィックオープンダイヤモンドカップゴルフと様々な名称で呼ばれてきました。過去の優勝者には、偉大な日本人プレーヤーである尾崎将司選手、中嶋常幸選手、青木功選手、そしてメジャー優勝者のピーター・トムソン選手やトッド・ハミルトン選手を含め、多数の伝説的プレーヤーが含まれています。
2013年には、世界のゴルフの希望の星であった松山英樹選手も歴代優勝者に名を連ねました。アジアアマチュア選手権(AAC)を2度制覇した松山選手は、同年の4月にプロ転向し、つるやオープンでプロトーナメント2勝目を飾りました。その5週間後の6月の初めに、松山選手は2打差でダイヤモンドカップを制したのです。
APGCとしては、AACに勝利した松山選手が成功を収めたことは特に心を打つ出来事でした。その理由は、APGCとJGAとのつながりが遥か1960年代初頭まで、APGCの後援を受けて行われたアジアゴルフサーキット(AGC)の創設まで遡ります。1962年の第一四半期に開催された最初のAGCスケジュールは、最終戦の役割を担う日本での読売国際オープンと共に、フィリピン、マレーシア、シンガポール、そして香港のナショナルオープン選手権から成り立っていました。
日本オープンは伝統的に年の後半に開催されることから、APGC創設メンバーの一人はAGCに参加するためだけに読売国際オープンを立ち上げたのです。その取り決めの一環として、メンバー国のトップアマチュアのための多くの参加資格をAPGCに割り当てることが合意されました。
1973年に読売国際オープンは総武国際オープンとなり、1977年にはダンロップ国際オープンになりました。1990年にダンロップオープンに変わり、1996年にはキリンビールが冠スポンサーとなってキリンオープンと名称が変更となり、2000年にアジアパシフィックオープンゴルフキリンオープンとなりました(片山晋呉選手が連覇してタイトルを守った2001年に同大会は終了)。

その後2008年にアジアパシフィックオープンパナソニックオープンが始まるまで、協賛企業を見つけることができませんでした。

一方で、ダイヤモンドカップは1973年からツアー競技となり、毎年異なるコースで開催しながら、北海道から九州の日本国中の名コースを巡ってきました。前述の通り、大会は過去何度かその名称を変えてきました。
そして、ダイヤモンドカップゴルフは2014年にアジアパシフィックオープンと結合することになりました。関係各位の努力により、この2つの大会は合併し、JGAとAPGC、それにダイヤモンドカップを主催する三菱商事株式会社と関西テレビ放送株式会社が主催するアジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップダイヤモンドカップゴルフとなりました。


JGA山中博史専務理事/COO)は、「アジアパシフィックオープンダイヤモンドカップは、豊かな歴史に彩られた本当にユニークな大会です。大会の大きなコンセプトの一つは、ジュニアゴルファーやアマチュアゴルファーの育成を通じて地域社会への貢献活動に重点を置くことと同様に、様々な慈善活動や自然環境保護への責任を通じて社会に貢献するということです」と述べています。
「それと同時に、JGAはAPGCのメンバー国であることを誇りとしています。アジアのゴルフ先進国のひとつとして、この地域周辺のゴルフの発展を支援するための貢献や寄与は私たちにとって非常に重要なことです。そうした方法のひとつとして、この大会ではこの地域のトップアマチュアたちが参加できるように、多くの参加資格がAPGCに割り当てられています」。

APGCタイム―ル・ハッサン・アミン会長は「私たちがJGAとの特別な結びつきを持っていることは幸運なことであり、JGAが日本だけでなくこの地域全体のゴルフの発展のために行っているすべての努力に感謝しています。APGCはこの大会の基本コンセプトを特にありがたく思っています。私たちのトッププレーヤーたちがこの大会に出場するために多くの努力しており、幸運にも出場資格を得た者たちがこのトーナメントでプレーすることは彼らにとって年間のハイライトのひとつです。」と述べています。

「アジアパシフィックオープンダイヤモンドカップゴルフには卓越した歴史があり、私たちには将来においてもその輝きを保つことへの責任があります。この大会を2021年に再び開催できることを心待ちにしています-これまで以上に素晴らしい大会となるように」。

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