(The friendly Match between Prince of Wales and Crown Prince of Japan Left:Crown Prince(putting) Middle:Prince of Wales Right:Komyo Otani) (大正11年(1922)4月19日) 初期の日本ゴルフ史の1ページを飾ったエピソードの一つに、大正11年(1922)4月19日、東京ゴルフ倶楽部駒沢コースで行われた日英両国皇太子殿下の親善試合がある。 当時、摂政宮だった故皇太子殿下は、その前年春に外遊された折、英国の皇太子殿下(プリンス・オブ・ウェールズ、Prince of Walse, のちのウインザー公)と「東京でゴルフをやりましょう」と約束されたといわれ、一年後、英皇太子が答礼のため訪日された機会に、その約束が実行されたのである。摂政宮はこの日のために、事前に2度、東京ゴルフ倶楽部の駒沢コースにお出かけになって、練習をされた。 最初予定された4月14日は雨のためキャンセルされたが、19日は一片の雲のない快晴となった。午前11時、両殿下はオープンカーでご到着。試合は摂政宮と大谷光明(東京ゴルフ倶楽部会員)、英皇太子と首席随員ハルゼー海軍中将の4人による4ボールで行われ、英国側の9ホールズ・1アップで、和気あいあいのうちに終了。ご昼食ののち、両殿下はドライバーを手に記念撮影。さらに、当日参集したクラブ会員らとも記念撮影の上、1時15分、お帰りになった。わずか2時間余の短いご滞在だったが、両殿下はいたくご満足のようすだった。 会員である西園寺八郎の令息公一君がプリンス・オブ・ウェールズの、同じく高木喜寛の令息秀寛君が摂政宮のキャディーを、いずれも附属中学の制服姿で務めた。制服警官の立ち入りは輿をそがれるというので、これを断わり、会員が手分けをしてコースに張り付き、警備に当たった。この日の模様は新聞各紙にも大きく報じられ、多くの一般の人々には未知のものだった『ゴルフ』を広く認識させ、競技の普及発展にも刺激剤となった、といえる。 |