2001 SEPTEMBER vol.67
 アマチュアゴルファーが輝いていた時代。それは、日本のゴルフ発祥から戦後までの約50年間である。今回、近衞氏がお話下さったのは、1930年代から、ご自身が選手として活躍された1950年代までの選手たちの様子。そこで、まずはそれ以前の日本の競技に登場したアマチュアゴルファーについて紹介したい。

 日本のゴルフ場発祥の地である神戸ゴルフ倶楽部(以下神戸)で、1903年に日本で初めて倶楽部競技が開催された。だが、まだまだ当時のゴルファーたちは在日外国人が主流だった。1905年になると、少年キャディたちによるキャディ競技がスタート。その後、年に1度行われ、1942年まで続いた。

 他倶楽部間の対抗戦が行なわれたのは、1907年の神戸とNRCGA(以下根岸)とのインターポート・マッチが最初。この競技終了後の懇談で、根岸側から「日本アマチュア選手権をやろう」という提案がなされ、同年10月に第1回日本アマチュアゴルフ選手権競技(以下日本アマ)が開催される運びとなったのである。

 ただ、日本人選手が出場するまでには、それから10年もの歳月を要した。1916年、根岸で行われた第10回大会で、米国でゴルフを覚えた一色虎児氏が日本人として初めて日本アマに出場。成績は14人中13位。好成績を残すことはできなかったが、その後に続く価値ある一歩を踏み出してくれた。

 そして、2年後の1918年の第12回大会でそれまで神戸と根岸の2コースで行われていた日本アマが、初めて東京ゴルフ倶楽部を舞台に開催された。そして初めて、日本人が日本アマチャンピオンに輝いたのである。偉大な金字塔を打ち立てたのは井上信氏。米国でゴルフを覚えた井上氏は、ニュージャージー州のクラブでクラブチャンピオンに輝いた実績を持つゴルファーだった。また、井上氏に続き、2位は川崎肇氏、3位は大谷光明氏、4位は高木喜寛氏、5位に一色氏と、上位を日本人ゴルファーが独占する快挙を達成。海外でゴルフを覚えた日本人たちのゴルフ技術が、在日外国人に太刀打ちできるほどに成長したことを裏付けた。そして、その後彼らが日本のゴルフの牽引役を担うことになるのである。

 1924年には東西7つのゴルフ場の代表者たちが、東京GCへ集まりJGAを設立。その3年後の1927年には第1回日本オープンゴルフ選手権競技(以下日本オープン)が開催された。会場となったのは、当時唯一18ホールを擁していた程ヶ谷カントリー倶楽部。2日間にわたる36ホールのストロークプレーで行われた競技に、アマ12人、プロ5人が参加。1日目のスコアがトップから20打差以内のプレーヤーだけが最終日に進むことができ、アマでは赤星四郎氏、六郎氏兄弟、川崎肇氏、プロでは浅見緑蔵、宮本留吉、安田幸吉、中上数一の7人が最終日へ。迎えた2日目、赤星六郎氏は73の好スコアをマーク。プロたちを抑え、初代チャピオンに輝いた。

 また、この年第1回目のアマチュアの東西対抗ゴルフ選手権が茨木カンツリー倶楽部で開催。これは米英のアマ対抗戦「ウォーカー・カップ」を手本にして行われることになった競技である。そして関東、関西を代表するアマチュアゴルファーたちが年に一度、その腕を競うようになった。


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