2002 OCTOBER vol.71
決戦前夜の二人
 7月12日、決勝戦前夜。第87回日本アマチュアゴルフ選手権競技の決勝戦を翌日に控え2人の選手はそれぞれの思いをめぐらせていた。
 一人は、ゴルフ雑誌の編集部員という肩書きを持つサラリーマンゴルファー、藤田大。2000年の日本オープンのロー・アマチュアであり、ナショナルチームにも度々選出されている実力者だ。藤田はこれまでにも数々の競技に出場して好成績を残してきたが、実は過去の競技の中で「優勝」を味わったことは一度もなかった。日本オープンのローアマは、アマチュアの出場者の中でのトップであり、その上にはプロがいた。

「目標はベスト8進出。3年連続で日本オープンに出場したかったので、日本オープンの出場権が与えられるベスト8には絶対入りたい」と考えていた藤田。念願のベスト8進出を果たした後は、目の前の一戦だけに集中し、先のことを考えずプレーできた。そしてふと気がつくと、「日本アマ優勝」という栄誉が、手を伸ばせば届く位置にあった。

 だが、連日の激戦。決勝戦を目前に控えて藤田の疲労もピークに達していた。しかも決勝戦は36ホールのマッチプレー。相手は優勝候補の宮里優作を破って勢いに乗る藤島豊和(東北福祉大3年)。学生と社会人では、日頃の練習量において圧倒的な差があるため、体力面でのアドバンテージは否めない。
「豊和君は学生だから思い切りもいいし、ガンガン攻めてくる。自分と対照的なプレースタイルだから、何とかしのいで接戦に持ち込めればいい」。

 藤田はとにかく自分のゴルフをすることだけを考えていた。
 時を同じくして、対戦相手の藤島も同じ様なことを考えていた。決して大崩れしない藤田の堅実なプレー、特にショートゲームの上手さは藤島にとっても脅威だった。

 東北福祉大3年の藤島にとっても、日本アマの決勝は初の大舞台。「まだ全国的な大会で優勝を経験したことがない」という点においては、藤田と条件は一緒だった。しかし、藤島には何物にも代えがたい「自信」があった。大学の先輩でもあり、日本アマチュア界の不動のエースでもある宮里優作に、準決勝で競り勝ったという事実。もはや迷いも、不安も見あたらなかった。藤島は携帯電話の着信音量をオフにし、決勝戦に備えて少し早めに寝ることにした。

 翌日。緊張からか、興奮からか、藤島はいつもより早く目が覚めた。窓の外はまだ暗い。ふと、枕元の携帯電話の着信をチェックする。不在着信が20件——。全て姉弟達からのものだった。無言のエールが、藤島の背中を後押しする。
 そして夜が明けた。


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