2002 OCTOBER vol.71
時代は美意識の変化を生んだ
 日本の女子ゴルフは、草創期から個人選手権が行われていなかったのは前述の通り。戦後、女性ゴルファーから「早く個人選手権の開催を……」という要望が出始めた。これに対し、ゴルフの代表機関である日本ゴルフ協会(JGA)は、「女子ゴルフの現状は、いまだ正規の選手権を行うまでに至っていない。名称から選手権の文字を削除のこと」と通達を出した。

1953年、讀賣新聞社が「全日本女子ゴルフ」を主催した時や、TBSが女子オープン(日本女子オープンの前身)を開催した時、JGAは協賛団体になっても、あえて「女子ゴルフ大会」とし、選手権という文字の使用を認めなかった。当時のJGAは「内容の伴わない、いい加減な競技にしたくなかった」からだと、毅然とした態度を押し通した。選手権の文字が使われだしたのは、関東ゴルフ連盟主催では1955年の関東女子選手権、JGA主催では1959年の日本女子選手権からだ。

1956年の関東女子選手権(小金井CC)では、女優の荒川さつきさん(吉田五月)が優勝して大きな話題になった。荒川さんは鎌倉に住む文士たちが主催した鎌倉カーニバルでミス鎌倉に選ばれ、東宝映画で主演を演じた知名度の高い女優。技、美を兼ね備えた女流ゴルファーの誕生だった。

 かくして、日本の女性ゴルフに求められたことは優雅さであり、美であった。美とは、美貌や若さではない。日本の女子ゴルフの先駆者である三井栄子夫人は国際感覚に優れ、高齢になっても優雅で気品があった。元朝日新聞社社主、村山長挙氏のご令妹で、女子学院を卒業した才女だった。歌も詠む、筆もたつ。ゴルフは、名手赤星六郎の教えを受けて上達した。

 しかし、時は流れ、女子ゴルファーに求められる美は「金」に変わったように見える。プロとして賞金を多く稼ぐことが「美」といえる時代になった。今年、日本女子アマチュアゴルフ選手権競技(オーク・ヒルズCC)に出場した146人の女子ゴルファーのうち、スカートをはいたゴルファーは皆無。「私達の時代はスカートが定番だったのに」と、昔を懐かしむJGA委員の声も聞かれた。中学生でも250ヤードを飛ばす時代だから、女子ゴルフ界において「優雅さや美を競う」なんて言葉は、とうの昔に、死語になってしまったのだろうか。


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