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競技報告
【逆転劇の主役、舘英樹は「夢にも思っていなかった」】
第3日 競技報告:JGA 写真:JGA
舘英樹の「夢にも思っていなかった」という言葉。無欲の勝利といってもいいだろう。もちろん優勝を目指してスタートしたものの、前半で3つスコアを落とし、ハーフターンした時点では首位と3打差だった。ショットの調子も良くなく、「ベスト10に入りたい」と来年の本選手権のシード権に目標を切り替えた。

10番はピン奥17~18メートルに乗せてしまい、バーディパットを6メートルもオーバーしてしまったが、この返しのパーパットを沈めた。11番は4メートルのバーディパットを決めた。12番(パー3)はティーショットを右バンカーに入れ、そこから寄せることができず、5メートルのパーパットが残った。しかし、このパットを
沈めた。「1ホール1ホール、パーを続けていき」16番は1.5メートル、17番も1メートルのパーパットを沈めた。「第1ラウンドからパットが良く入ってくれた」パッティングに助けられ、後半は1バーディ・1ボギーのパープレーで凌ぎ切り、通算9オーバーパーでホールアウト。後続の選手がスコアを落とし、プレーオフもなく優勝が決まった。

日本シニアゴルフ選手権は初出場。16歳からゴルフをはじめたが、ジュニア時代に特に大きな成績はなく、専修大学には普通に受験をして入った。当時の専修大学ゴルフ部は日本大学と並び、日本で1、2を争う強豪だった。リーグ戦でレギュラーに入ることはなく、サポートに回った。そんな彼の転機が訪れたのは、31歳のときだった。自分でゴルフ練習場をはじめ、自らもゴルフに身を入れて練習した。その結果、33歳のときにはじめて関東アマチュアゴルフ選手権に出場、日本アマチュアゴルフ選手権にも出場した。

シニアの年齢になれば、シニア競技にも出場するつもりだった。アンカリングのルール変更でそれまで20年近く使っていた長尺のパターを普通のパターに戻した。すると、それまで得意なはずだったパッティングが入らなくなり、80も切れないほどにスランプに陥った。そこでもう一度長尺パターに戻したところ、元の調子を取り戻した。昨年は関東シニアで2位。念願の日本シニアの出場権も得た。ところが、大会の1週間前に母が亡くなった。日本シニアは欠場した。

今年はその悔しさを関東シニア優勝という形で晴らした。そして、日本シニアも。きっと母も天国から優勝を見届けて喜んでいるに違いない。

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