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JGA年史
※敬称は略させていただききました。
1960〜1969年
1960 昭和35年
2月9日
JGAの女子委員会設置、三井栄子が委員長に。
9月26日〜28日
日本オープン選手権で陳清波がスコア誤記で失格、小針春芳が繰り上げ優勝(廣野GC)。
1961 昭和36年
※程ケ谷カントリー倶楽部会員、鍋島直泰が弥生杯競技でダブルホールインワンの快挙(3月5日)。
4月1日
オリンピック募金(来場者1人から5円)を開始。
4月3日
元JGA会長、大谷光明が逝去。
9月28日
日本ゴルフ協会の事務局が東京・丸の内のパレスビルに移転。
11月8日〜10日
日本オープン選手権に細石憲二が優勝、最終日は5人(小野光一、謝永郁、陳清波、勝俣功)が
同スコアで並ぶ大接戦になり、暗闇のプレーオフが行われた結果、細石の勝利が決まった(鷹之台CC)。

◇この年度の加盟倶楽部数は55に。
1962 昭和37年
※アジア・サーキット始まる(2月8日)。
7月
日本ゴルフ協会初代会長、森村市左衛門逝去。
10月1日
JGAはハンディキャップの一律3の引き下げを勧奨。関東地区では実施、
関西地区はクラブの自主的判断で12月1日より実施。
10月10日〜13日
第3回世界アマチュア・チーム選手権が川奈・富士コースで開かれ、日本チーム(石本喜義、鍋島直要、広瀬義兼、中部銀次郎)は9位に、優勝は米国チーム(バットン、ビーマン、ハリス、サイクス)。
 ※米国女子プロのパディ・バーグ来日、東京ゴルフ倶楽部で500人の観衆を前に妙技を披露 (10月16日)。
1963 昭和38年
1月24日〜27日
第1回アジア・アマチュア・チーム選手権がマニラのワクワク・コースで開かれ、日本チーム(三好徳行、石本喜義、広瀬義兼、鍋島直要、富田浩安、吉川隆之)が優勝。
4月1日
JGAハンディキャップ制の施行。
オリンピック募金を来場者1人から10円とし、国際行事募金の1人5円は廃止。
5月23日
戦前、戦後を通じ日本ゴルフ界の発展と国際化に貢献した日本ゴルフ協会副会長の野村駿吉逝去(5月12日)、日本ゴルフ協会葬(石井光次郎葬儀委員長)が東京・築地の本願寺で行われる。
9月18日〜20日
日本オープン選手権で戸田藤一郎が24年ぶりに優勝をとげる(四日市CC)、戸田は49歳の老雄だった。
1964 昭和39年
10月1日〜4日
第1回世界女子アマチュア・チーム選手権がパリで行われ、日本チームは小坂旦子をプレーイングキャプテンに、泉谷珠子、松波紘子が出場して19位に。
 ※第18回夏季オリンピック東京大会開催(東京・国立競技場)(10月10日)。
10月27日〜29日
日本オープン選手権に杉本英世が優勝、ホームコースで有望視されていた陳清波は大詰の17番で4パットの失敗に泣き、1打の差で杉本に優勝をさらわれた(東京GC)。
1965 昭和40年
1月
JGAは公式競技に小型球の使用を認める。
5月18日〜21日
第2回アジア・アマチュア・チーム選手権に、日本チームは前回に続いて優勝、ノンプレーイングキャプテン細川護貞、選手は広瀬義兼、中部銀次郎、三上正彦、寺本昭洋(日光CC)。
JGAの主催で技術研修会が関東、関西で行われる。
 ※川越カントリークラブで行われた日本プロ選手権に河野光隆が優勝、
  この年から日本プロ選手権は有料公開となる(7月15日〜17日)。
10月6日〜8日
日本オープン選手権に橘田規が優勝。橘田は大会の始まる前日カナダカップ(スペイン)の遠征から帰国し、ぶっつけ本番の出場で優勝をさらう超人的な活躍をした(三好CC)。
11月
JGA会報「アジア・アマ特集」号を発行。
1966 昭和41年
4月22日
JGAに娯楽施設利用税対策委員会を設置。
 ※東北ゴルフ連盟設立(7月1日)。
 ※第14回ワールドカップ(旧カナダカップ)、2度目の日本開催優勝は米国、杉本英世が個人戦で2位に
  (東京よみうりCC)、カナダのヌードソンとのプレーオフに敗れる(11月10日〜13日)。

◇この年の加盟クラブ数は106になる。
1967 昭和42年
5月25日〜26日
日本女子アマチュア選手権に泉谷珠子が優勝し、同選手権に4連覇(城陽CC)。
6月6日〜8日
日本アマチュア選手権は従来のマッチプレーを廃止し、ストロークプレーに競技方法を変更。
中部銀次郎が同選手権4度目の優勝(我孫子GC)。
 ※関東プロゴルフ協会に女子部を設置(6月16日)。
6月23日
JGAハンディキャップ改正。コースレート査定方法を大幅に変更。
 ※パーマー、ニクラウス、プレーヤーのビッグスリーが来日、
  TBS主催、JGA協賛によって各地で妙技を披露した(9月28日〜10月7日)。
11月15日〜18日
第1回世界アマチュア・シニア・チーム選手権が米・パインハーストで行われ、優勝チームに「シュン・ノムラトロフィー」(野村駿吉の偉業を記念したトロフィー)が与えられた。
日本チームは岡田信次(JGA副会長)を団長に、鍋島直泰、関口勇、平野善次郎、片山信が出場して5位に。
1968 昭和43年
6月21日
JGAの娯楽施設利用税反対実行委員会が各加盟倶楽部に陳情署名運動を依頼、
政府の税制調査委員会や自治大臣に陳情。
10月2日〜4日
日本オープン選手権に「和製ビッグスリー」の1人河野高明が初優勝し、賞金80万円を獲得、ワールドカップ代表の面目を保った(総武CC)。田中誠が初のベストアマに。
 ※TBS主催で「女子オープン選手権」が開かれ、樋口久子がチャンピオンに。
  日本女子のオープン競技の夜明けになった(TBS越ケ谷)(12月11日〜12日)。
1969 昭和44年
10月1日〜4日
第2回世界シニア・チーム選手権がロイヤル・エンシェントゴルフクラブ(オールドコース)で行われ、日本からは鍋島直泰(キャプテン)、藤本達雄、池永弘、吉川金重が出場して6位に。
10月21日
JGAは会則の一部を改定し解散、あらたに関東、関西両連盟で協会を創立した。
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