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JGA年史
※敬称は略させていただききました。
1970〜1979年
1970 昭和45年
3月24日
JGAは国際交流の基金を積み立てることになり、加盟地区連盟の各倶楽部に対して昭和45年5月1日より向う1年半、来場者1人に10円の協力を仰いだ。
6月10日〜11日
日本アマチュア選手権で山田健一が優勝し、同選手権に2連覇(広野GC)。
9月23日〜26日
第7回世界アマチュア・チーム選手権リアルクラブ・デプエルタ・デイロ(スペイン)で8位。
山田健一、入江勉、高橋信雄、阪田哲男が参加。
9月30日〜10月2日
日本オープン選手権に橘田光弘が初優勝、最終ホールで劇的なバーディを取って混戦にけりをつけた。
兄の規と兄弟のチャンピオンになる(武蔵CC・笹井)。
11月6日
アマチュアの東西対抗、最後の競技が四日市カンツリー倶楽部で行われる、
通算成績は関東の20勝12敗3引き分け。昭和2年に創始された伝統ある競技にピリオドが打たれた。

◇各地区連盟の加盟クラブ数は245になる。
1971 昭和46年
※関西ゴルフ連盟はJGAの改組に伴い、中部、近畿、中・四国、九州の4地区に分割し、
 近畿ゴルフ連盟として発足した(1月1日)。
※関東ゴルフ連盟(KGA)の理事長に安西浩。JGA会長に、安西浩が就任、石井光次郎は名誉会長に(3月25日)。
9月28日〜10月1日
13年ぶりに愛知カンツリークラブ東山コースで開催された日本オープン選手権に、42歳のベテラン藤井義将が優勝。ビッグタイトルを手にした。
10月20日〜23日
この年、日本(川奈ホテル・富士)で開催予定の世界シニア・チーム選手権が中止される。
11月10日〜12日
JGA主催で日本女子オープン選手権を創始(TBS女子オープンを継承)。
第1回大会が大利根カントリークラブ・西コースで行われ、樋口久子が優勝。
1972 昭和47年
※近畿ゴルフ連盟は関西ゴルフ連盟と改称(2月16日)。
6月7日〜9日
日本アマチュア選手権で入江勉が優勝し、同選手権に2連覇(三好CC・西)。
9月28日〜10月1日
日本オープン選手権、日本女子オープン選手権ともども有料公開となる、競技の模様がNHKで実況中継される。
日本オープン選手権に韓長相が優勝(大利根CC・東)。
10月18日〜21日
第8回世界アマチュア・チーム選手権がアルゼンチンのブエノスアイレス、オリノスゴルフクラブで開催され、ノンプレーイングキャプテン鍋島直要、入江勉、高野善次郎、阪田哲男、高橋一成が出場9位に。
1973 昭和48年
3月30日
日本ゴルフ協会は、日本体育協会(現・公益財団法人日本体育協会)の加盟団体から退会。
4月19日〜22日
アジア・サーキット最終戦の総武国際オープンは、この年からJGAの共催で開かれる(総武CC)。
5月31日〜6月1日
日本女子アマチュア選手権で清元登子が優勝し、同選手権に2連覇(東名古屋CC・西)。
1974 昭和49年
※日本女子プロゴルフ協会創立、初代会長に中村寅吉が就任(2月1日)。
3月1日
ゴルフ場固定資産税減額について自治大臣に陳情。
6月26日
日本ゴルフ協会は創立50周年を迎え、東京で記念行事が行われる。
 ※英国オープン選手権は大型球を採用(7月10日〜13日)。
1975 昭和50年
6月4日〜5日
日本女子アマチュア選手権で山田まち子が優勝し、同選手権に2連覇(名古屋GC)。
10月1日
ヤードからメートルに。JGAは通産省からの勧告によりコースの距離表示をヤードからメートル法の採用に関し、具体的な指針を加盟各倶楽部に通達した。

◇JGAはエチケットの精神高揚を目標に「エチケット月間」の設定を決める。
◇各地区連盟加盟のクラブ数は559に。
1976 昭和51年
※PGAは52年度から主催競技での大型球の使用を決定(2月1日)。
4月1日
一部のゴルフ場を除き、距離の表示がヤードからメートルになる。
 ※KGUニュースが発行される(5月10日)。
 ※関西ゴルフ連盟は創立50周年を迎え記念式典を行う(10月19日、茨木CC)。
1977 昭和52年
1月25日
日本オープン使用球を大型球に決定。
2月22日
JGA会長に山形章が就任、安西浩会長は名誉会長に、石井光次郎は顧問に。
※樋口久子、米国女子プロ選手権に優勝し、日本女子プロがメジャー制覇の快挙を達成(6月10日〜13日)。
※日本女子プロ協会主催競技の使用球を大型球に統一。
1029日~111
メキシコ第1回国際チーム・ゴルフ・トーナメント(メキシコ・トレオンGC)で日本チーム(内藤正幸、湯原信光)が優勝。
この優勝はJGA派遣チームの国際競技初優勝となった。
12月11日
JGA会長の山形章逝去。12月19日協会葬。
1978 昭和53年
1月24日
JGA会長に副会長の乾豊彦が就任。
 ※KGA理事長に山形晋。

◇JGAは昭和52年11月25日から53年1月25日までの2カ月間、全国のゴルフ場、練習場などで
 娯楽施設利用税免除の陳情署名運動を続けてきたが、100万人を突破したため、
 JGA会長は当時の自治大臣を訪れ、減免除の趣旨を説明し、善処を要望した(3月4日)。
6月21日〜24日
中部銀次郎、日本アマチュア選手権で6度目の優勝を飾り、同選手権最多優勝記録を樹立(三好CC・西)。
9月4日
日本ゴルフ協会はハンディキャップ規定を制定し、昭和56年1月より実施を加盟各クラブに通達。
関東ゴルフ連盟は55年1月より実施。
11月2日〜5日
日本オープン選手権でスペインのセベ・バレステロスが優勝し、同選手権に2連覇(横浜CC・西)。

◇地区連盟加盟クラブ総数833。
1979 昭和54年
第1回シリキット女王杯アジア女子アマチュア・チーム選手権に日本代表として
宮沢晴代、石井羽留子、藤本麗子が出場し団体優勝、宮沢が個人戦に優勝(2月15日〜17日、バンコク)。
9月4日
◇JGAミュージアム建設資金として1人10円の募金の要請を決定(昭和55年より1年間)。
「JGA55年の歩み」が刊行される (10月)。
第6回ベネズエラ・シモンボリバー杯国際アマチュア選手権で日本チーム(中部銀次郎、湯原信光)は団体戦に優勝し、中部は個人戦にも勝つ(10月31日〜11月3日、カラカス)。
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