2001 SEPTEMBER vol.67
「お客さんあってのプロゴルファーなんだよ。それが言葉だけでなく、腹の底から分かっているのは、我々の時代の選手だけだと思います」。

 お客さん、つまりアマチュアゴルファーを最大で唯一のスポンサーとして生きなければならない時代。それが林由郎がプロゴルファーとして歩み始めた頃の常識であった。

 戦前から戦後にかけてプロゴルファーを名乗るほとんどの選手はゴルフ場のキャディを経て競技生活をスタートしている。林の場合も「家がとにかく貧しかった。小学校の5年生の時、家の近くに我孫子ゴルフ倶楽部ができたのですが、金持ちが出入りする所で、自分らが近づくと親に叱られたんです。でも小学校6年の卒業式。3月21日でしたが卒業式を終えて家に戻る途中、フラフラとゴルフ場の方に歩いて行った。そこで声をかけられた」のが林とゴルフの最初の出会いであり、歴史に名を残すプレーヤー・林由郎誕生の序曲となったのである。

「とにかく人手が足らないので、キャディバッグを担いでお客さんの直ぐ後ろを歩けと言われました。やることもないので結局2ラウンド回ったら、60銭もらったんです。びっくりしましたよ。たまに親からもらえる小遣いが2銭でしたから大金です。それで4月1日から正式にキャディとして勤めたのです。月給は8円。客がこなくても1日15銭は保障されたので両親も喜んでいました」と林は当時を振り返る。

 こうして林のゴルフ場での生活がスタートしたのだが、ゴルフ場を訪れるアマチュアプレーヤーの中に、彼らからすれば幼くて貧しい少年に使い古したクラブを与え、ゴルフを教え出す者も少なくなかった。

「15歳の時にキャディ競技に出て優勝したんです。16歳の春のキャディ競技にも優勝したら、プロの試合に出てみろということになりました。この年の7月10日に我孫子でプロの月例競技が開催されハンディ5をもらい出場。3位に入って賞金20円をもらったんです」とまるで昨日の栄冠を語るように満面の笑みを浮かべた。


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