2002 OCTOBER vol.71
激闘の果てに
 3パットした33ホール目を藤田はこう振り返る。
「打つ前から、決まらないな、という予感はありました。自分の手が“ノー感”になっているのが分かるんですよ。しびれちゃって……。優勝は最後の最後まで意識してなかったつもりですが、それでもやっぱり日本アマ優勝というのがプレッシャーになってたんですね」。
この藤田の3パットで、息を吹き返した藤島は、「決勝ラウンドの2回戦でも、3アップの差を逆転して勝ってましたから、まだいけると思いましたね」と、当時の心境を語る。

 しかし、藤島にとって続くホールもドーミーホールであることは変わりなかった。藤田の優勢は、まだ動かない。

 ところが、その藤田に「日本アマ優勝」というプレッシャーが、さらに重くのしかかる。34ホール目、パーをセーブするも、藤島はバーディを奪取。続く35ホール目で藤田はボギーを叩き、最終ホールを残し、ついに両者の差は1アップにまで縮まった。勝負の行方は、誰にも分からなくなった。
 運命の最終ホールは、右ドッグレッグ、340ヤードのパー4。藤島は予選ラウンドから一貫して、このホールでドライバーを使い続けてきた。だが、藤田の“乱れ”を目の当たりにした今、このホールでも藤田が崩れる可能性は大いにある。無理して攻める必要はないのかもしれない、という考えが頭をよぎった。それも選択肢のひとつである。しかし、それでも藤島はキャディバッグからドライバーを抜いた。

「自分には信念があります。『曲がらない』と信じてドライバーを使えば、絶対にボールは曲がらない。だけど『曲がるかも』とか『失敗するかも』と少しでも不安をのぞかせると、悪い結果につながることが多いんですよ。それに僕の持ち味は攻めるゴルフ。最後の最後で弱気になってどうするんだと思いましたね。あの時も不安はちっともありませんでした。でも結果は力んで右の林へ入れてしまった。最終ホールということで、気合いが入りすぎていつものスイングができなかった。それが日本アマなんですね」。
 一方、藤田は藤島のミスショットを見届けた後、2番アイアンでティショットを放った。藤島のミスショットとは対照的に、ボールはフェアウェーに転がった。

「『藤田は藤島のプレーを見て、アイアンで刻んでる』っていう見方をしてた人もいますが、実際は違います。僕は予選ラウンドからずっと、アイアンで打つところは決めてました。最終ホールは、予選ラウンドからずっとアイアンを使っていたんです。だから最終ホールのティショットも、自分のプレースタイルを崩さずにアイアンを使いました。それにそれまでの3ホールは自分の自滅による負けでした。だから自分のプレーさえ取り戻せれば大丈夫と思っていたので、それほど焦りはありませんでした。逆に正真正銘の最後の勝負どころだと思って、気をひきしめました」。

 藤田は最後の最後で自分本来のゴルフを取り戻し、パーをセーブ。最後まで諦めない藤島はチップインバーディを狙うも、ボールはカップの横を通り過ぎ、長い戦いが終わった。藤田の1アップ。自身初の優勝を「日本アマ」という大舞台で実現した。
 負けたとはいえ、最後まで自分のゴルフを貫き通した藤島にも、惜しみない拍手が送られた。

「試合が終わった後は、しばらく泣くのをこらえていましたが、母親が泣いてる姿を見て、もう我慢できませんでしたね。一人でトイレに駆け込んで泣きました。もちろん悔いは残りますが、攻め続けたことに関しては後悔してません。それが自分ですから。来年は絶対に勝ちます」(藤島)。

 一方藤田は、自身のゴルフと日本アマについてこう締めくくった。
「ゴルフが上手くなりたい一心でここまでやってきました。自分の思い描いているプレーやスイングがあるんですが、まだそれに全然近づいていません。だからこれからも自分の理想に少しでも近づけるように、一生懸命練習していきます。それに日本アマのような大舞台に立つと、独特の雰囲気や緊張感を経験することになります。そしてそれがいつしか楽しみになってくるんですよね。一度味わうと『来年も、再来年もこの舞台に立ちたい』って思います。自分だけじゃなく日本アマに出場した選手は、全員そう思ってるはずです。そういう大会なんですよ。それが日本アマの重みなのかもしれませんね」。

 こうしたプレーヤー達の熱い思いが、日本アマの歴史を紡いでいく。


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