2002 OCTOBER vol.71

日本アマチュアゴルフ選手権競技(以下日本アマ)—この大舞台に立つことは、多くのアマチュアゴルファーの目標であり、夢でもある。今年も新たな挑戦者が、厳しい予選を勝ち抜き夢の舞台に歩を進めた。初出場選手3人の『日本アマ挑戦』を追ってみた。
 次につなげたい、プレーオフ

「このあと、雨と風が強くなれば、マッチ・プレーに残れるかも……」。
 予選ラウンド2日目の18ホールを終えて相羽はそう思った。
 2日間のトータル150。予想していたカットラインぎりぎりのスコアだった。この予想は的中し、150ストロークの5人のうち、2人が通過できるプレーオフとなった。

 1番、415ヤードのパー4ホール。プレーオフが開催されると雨が激しくなった。相羽はティショットを左に曲げ、バンカーへ打ち込んだ。しかし、リカバリーショットで挽回。ボールは、グリーンには乗らなかったが、ピンまで約5メートルのグリーンのカラーへ。

 また雨足が強まった。グリーンがしっとりと水を吸う。バーディチャンスだという意識が却ってプレッシャーになったのか打ちきれず、約80センチショートした。まさかのミスだった。続くパーパット。それまでに3人がパーをセーブしていた。これまでで最大のプレッシャーが相羽を襲った。

 結果は打ちきれず、ボギー。続くプレーヤーもパーセーブ。サバイバルゲームから最初に脱落したのは相羽だった。誰もいなくなったグリーン上で、相羽は何度も外したラインを打ってみた。あきらめ切れなかった。

 高校を卒業し、父親の勧めで始めたゴルフ。自営業の自宅の庭に設けた練習ネットを利用して、ほぼ独学でこの日本アマの切符を手にした。
「どんなに時間がなくても、毎日クラブを握るようにはしています。でも、日本アマ出場が決まり、マメができるぐらい打ち込みました」。

 これまでの練習ですでに硬くなっていた手のひら。そのうえに、さらにマメができるほど、熱心に練習してきた。「日本オープンのコースセッティングをイメージしてきたので、思ったよりもラフは短かったですね。中部アマには3度出場したことがありますが、全国レベルの競技はこの日本アマが初めて。セッティングはもちろん、レベルも知ることができて、いい経験になりました」。
 相羽の次回への挑戦は、自宅の庭からすでにスタートしている。
 55歳からの挑戦

 友人の勧めで、19歳から始めたゴルフ。江澤は家族の共通の趣味として、ゴルフを楽しんできた。
「3年前、家族でいろんな競技に出場しようと、妻や子供たちとアマチュアの競技にすすんで参加するようになりました」。

 現に三保子夫人は、一昨年の日本女子シニアに出場。江澤本人も、昨年は、日本シニアゴルフ選手権に出場し、今年、日本アマへの出場権を獲得したのである。
「年だからほとんど練習場での練習はしないね」そういって江澤は笑う。「今は実践だけ。週に3回はラウンドして、そこで自分のスイングをチェックしたり、コース攻略を立てたりしています」。

 独学で覚えたゴルフ。“練習していない”といっても、ここまで来るにはそれ相当の努力が必要だったであろう。

 予選ラウンド2日目。「せっかくの晴れ舞台。恥ずかしくないプレーを心掛けたいですね」といってスタートした江澤だったが、残念ながら予選突破はならなかった。
「緊張のせいか、全く調子がでませんでしたね。でもそれが自分の実力かもしれません」と2日間の戦いを振り返った。そして最後に「11月の日本シニアこそ」と語気を強めた。
 最後まで戸惑った日本アマの“雰囲気”

「“試合慣れ”していないからでしょうね。普段、こんなに叩くことはないし、自分がこんなに叩くなんて思いもしなかった」
 予選ラウンドを振り返った半田はそういって唇を噛んだ。大会前の目標は“初出場初優勝”だったが、アマチュアの頂点は遠かった。

 平日はサービス業を営む傍ら、時間を見つけては馴染みの練習場でボールを打ち込んだ。
「ここ数年は練習量も増やしましたし、栃木県内のアマチュア競技にも出場するようになりました」。昨年の同県社会人アマチュア選手権2位、栃木県知事杯優勝と、県内ではその実力を発揮してきた。
「日本アマ独特の雰囲気がありました。いやー参りました。それにしても、古賀ゴルフ・クラブはいいコースですね。日本アマという国内最高峰のアマチュア競技に相応しいコースセッティング、挑戦しがいがありました。まあ、終ってみて自分のスコアには驚いたけれど、プレー中は楽しみながら、プレーできました」と笑顔を見せた。

 全国デビューとなった今大会。本来の実力を十分に発揮できず涙を呑んだが、「もっと練習して、また出場したい!」と、元気に次への意欲をアピールした。


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