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競技報告
【小木曽を初優勝に導いた川村昌弘先輩の金言】
第5日 競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi
小木曽 喬
前夜、小木曽喬(富士C可児)は、福井工業大学附属福井高校の先輩、川村昌弘と電話で話した。小木曽にとっては、川村は、憧れ・目標・兄貴、そして神様的な存在である。
「明日の決勝マッチは、36ホールあるんだから、勝負は、最後の9ホール。27ホールまでは、大差がつかないように、へばりついていればいい」というアドバイスを貰った。そして「いちばん上手いと思っていればいい。そう思うから、僕も。だから自信を持ちなさい」と、小木曽の心の芯に響く言葉を送った。

小木曽は、スタート前から気持ちが、ひとつになっていた。先輩・川村の言葉を支えにプレーしようという信念にも似た気持ちだった。1番で小木曽がまず1up
比嘉一貴
。そして2番で比嘉がとってオールスクウェア。4番で小木曽が奪い返して1up。そのまま9番まで動かなかった。10番で比嘉が奪う、11番は小木曽が取り返す13、15番と比嘉が奪って比嘉が1upとした。そこから、16、17、18番とアップしたのは小木曽だった。前半の18ホールを2upして終了。30分後の後半へと向かっていく。「え?3連続で僕がとっていたんですね。いままで気が付かなかった」とインタビューのときに言った。それだけ、1打集中してゲームに没頭していたのだろう。

そして、30分後。実は、19ホール(1番)で、小木曽も比嘉もスタート時間に遅れた。先についていた小木曽だったが、打つ準備ができておらず、そして比嘉は、それから20秒遅れでやってきた。11時15分スタートとは、11時15分00秒という意味である。ふたりとも、この19ホールは、負けでということで、このホールは分け(※1)。小木曽の2upのまま20ホール(2番)へと進んだ。その2番は比嘉が奪ってゲームは、小木曽の1up。24H(6番)では小木曽、26H(8番)では比嘉が奪った。そして残りの9ホール。28H(10番)は、比嘉が奪ってオールスクウェアとなった。
「ずっと川村さんの言葉を忘れていませんでした。これからが勝負という気持ちでした」と小木曽は、モチベーションを新たにした。

比嘉は、ずっとアイアンショットの距離感に違和感を覚えていた。「ティーショットをフェアウェイに置いたら、ピンにつけたいという気持ちになる。でも、それができない。チャンスを失って苦しいゴルフばかりでした」と、縦距離がしっくりこない自分の状態が、ボディブローとなっていた。
「5日間で、今日がいちばん難しいところにピンを切っているわけですから、少ないチャンスをどう活かすかというゴルフになるわけです。それを、ともかく活かしていくしかない、と気持ちを切り替えました」。
比嘉は、小木曽のゴルフを熟知していた。「イライラするゴルフ」―つまり、比嘉と同じく粘り強く、ショートゲームもうまいし、崩れそうで崩れない。そんな小木曽のゴルフが、この日はすべていい方向に働いていた。

比嘉も、勝負は残り9ホールと見ていたのだろう。そして、もっと絞り込めば、最後の4ホールが勝負を決めると判断していた。比嘉は、32ホール(14番)を奪って、1upとリードした。そして次の33ホール(15番。178ヤード、パー3)がやってきた。比嘉は、こう読んだ。「小木曽は、安全に攻めてくるだろう。ここでupしておけば(2upとなり)、17番で失っても最後の36ホール(18番)をバーディとすれば…」という計算があった。勝負をかけた。3位決定戦の古田幸希は、右に逃げないで、左からフェードで攻めてチャンスを掴んだ。比嘉は?「ピン、まっすぐ狙いました。それが(手前の)池に入って、ボギーもセーブできずにギブアップした」。さらに34ホール(16番)。比嘉は絶好のチャンスにつけていた。午前中に回ったときと同じ距離、同じ場所、つまり同じラインをバーディチャンスにつけた。「実は、そこで僕は、ど忘れしたというか、勘違いしちゃったんですよ。確か午前中は、このフックラインは切れずに真っ直ぐだった…と、思い込んでいたんですが、実際は、思ったよりも切れていた、が、正しかったんですね。数少ないチャンスは、いっぱいありましたけど、その典型が、このホールでした」と悔しがる。

35Hとなる17番をオールスクウェアで迎えた。比嘉にとっては、劣勢な気持ちとなっていたに違いない。この17番は、小木曽が「僕の有利なホール」と言っていた。それは「実は、クオリファイングランドの時は苦手だったんです。で、マッチになってから(1打目を)低い球筋のボールで攻めていくと、バンカーも気にならないし、残り距離も僕にぴったりの距離が残るんです。はい。115ヤード前後。ピッチングウェッジの距離です。比嘉さんが先に打っていて、うまく行っていないなと思ったので、ピッチングウェッジを抑えて打って、ちょうど1.5メートルのスライスラインにつけて入りました」と嬉しそうに語った。

35ホール(17番)目で、小木曽が1upとなった。36ホールがやってきた。18番である。小木曽は、昨日のベスト4での攻めとは逆に、2打目を3番ウッドを使って果敢に攻めた。「ここは比嘉くんも当然攻めてくる。だから逃げずに攻めようと思っていました」。対する比嘉は、ティーショットを右にふかして、2打目を置きに行った。小木曽は、グリーン左のバンカー越えのラフ。ちょうどサブグリーン際に近いところだ。ピンに対しては左足上がり。ピンまで30ヤード。比嘉は、フェアウェイから60ヤード。先に比嘉が打った。ピンをデッドに攻めて、ピン左サイドに落ちてバックスピンがかかった。残り2.5メートル。そして小木曽だ。なんと大胆にもロブショットをした。小木曽の3打目地点からは、ピン位置から奥のグリーンエッジまで奥行きがほとんどない。その先はカート道路、そして崖である。小木曽は、果敢に狙った。勇気のあるロブショットだった。比嘉よりも少し近い距離、2メートル弱に止まった。見事だった。

「比嘉さんが、狙ってきたので、自分も行くしかないなと思いました。最初はピッチ&ランも考えたのですが、行くしかないと。それに自分のいちばん好きな距離、好きなロブショットだったんです」と小木曽は言う。このルーツを小木曽が話し始めた。「2003年だったかな、中嶋常幸さんが、たしか三菱ダイヤモンドかなにかの試合で、60ヤードのラフから、素晴らしいロブショットをしていたんです。それをテレビでみていました。ボールがゆっくりと中に舞って…。あれを見てから、練習しはじめて、今日の僕のロブショットがあると思います」。

17歳115日の新チャンピオン・小木曽喬。奇しくも今大会で中嶋常幸が記録した18歳9ヶ月の最年少記録を破ることになった。そして大会では、2004年の李東恒の17歳92日に次ぐ、第99回日本アマチャンピオンとなったのである。

※1 19番ホールの裁定についてはルールコラム(15)に詳細が掲載されています。
ルールコラム(15)は こちら

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