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Championship Reports
競技報告
【23年ぶりに廣野ゴルフ倶楽部のコースレコードを更新した阿久津がメダリストに】
第2日 競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi
廣野ゴルフ倶楽部のアマチュアゴルファーのコースレコードが、23年ぶりに塗り替えられた。1992年日本アマで優勝した米倉和良以来である。当時の廣野は7015ヤード。米倉が67の記録を立てた。そして今回、7169ヤードの廣野で、阿久津未来也が、64のコースレコードを樹立し、通算7アンダーパーで、村山駿と並んで首位(メダリスト)タイとなった。

実は、阿久津の64は、人生2度目である。といっても最初の64は「中学生のときなんですよ。その後進学した作新学院の人たちと一緒に回っていたときにでたんですね。もちろん、試合では、初めてのスコアです」と言った。阿久津は、作新学院から日本大学へ進学してゴルフ部
に籍を置いている。
「作新のゴルフ部から日大ゴルフ部という進路は、あまりなくて、珍しがられたんですけど、これも偶然というかめぐり合わせだったんですね」ゴルフを始めたのは祖父母の影響だったという。「1歳半か、2歳半か…おもちゃのパターを祖父母からプレゼントして貰って遊んでいたというのが、出逢いなんです。そのうち5歳ぐらいとときだったと思うのですが、祖父母に連れられてショートコースでプレーしたのがゴルフデビュー。試合には、小学校3年から出ていました」とゴルフと一緒に幼少期を過ごしたのだろう。

第1ラウンドは、小野ゴルフ倶楽部だった。「小野では、36パットだったんです。ショットは良かったのですが、僕の生命線であるパッティングがうまく決められなくて1オーバーパー。今日は、26パットで、ほんとに3〜4メートルがうまく入ってくれました。こんなに難しい、しかも名門コースでこのスコアが出せるとは、自分でも夢にも思いませんでした。しかも日本アマで出せたのが、とても嬉しいです」と阿久津は振り返る。これまで日本アマに4回出場しているが、ずっと結果が残せなかった。
「今年、(日大ゴルフ部の)団体戦でいい成績を残したいという気持ちが強く、そのために練習してきました。5月の団体戦でMVPとなって、苦手だった団体戦でそれなりの成績が出せたことで、自分の中で安定感というか、なにか見えてきた気がしてきたんですよ」それから迷いがなくなってよどみないスウィングができるようになったという。廣野は、練習ラウンドの1回だけしか経験していなかった。「ともかくフェアウェイキープすることしか考えていませんでした。今日も、ほとんどキープできたのが好スコアに繋がったのだと思います」という阿久津の平均飛距離は、250〜260ヤード。決して飛ぶ方ではない。その中で、ゲームマネージメントをしっかりとやり、しかも生命線のパッティングが思い通りになったことが64というコースレコードの背景にあった。
1番でいきなりバーディ。そして3番、6,7,8番とバーディを奪った。4番こそボギーだが、前半で32。勢いは、止まらなかった。3〜4メートルの距離が気持ち良いほど入った。11、12番でバーディ。さらに、15、17番と選手たちが苦しむホールでもバーディを奪って後半も32で締めくくった。
1992年大会でコースレコードを樹立した米倉和良は、当時日大ゴルフ部の選手。それを聞かされて「変なプレッシャーを背負ってしまったかも知れませんが、なんとかマッチでも踏ん張って行きたいと思います」と言った。因みに米倉の67は、ストロークプレー戦で、2日目に樹立したものだった。

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