HistoryJGA年史

※敬称は略させていただききました。

1950昭和25年

  • ◇日本ゴルフ連盟の名称が日本ゴルフ協会になる。
  • 10月2日〜3日日本オープン選手権にベストアマチュア表彰制度を設ける。
    在日米軍ゴルファーのジェニングスが同選手権で11位タイになり受賞した。優勝は林由郎。

1951昭和26年

  • ※アメリカのロイド・マングラム、ジャック・バーグがフィリピン・オープン出場の帰途、進駐軍慰問のため来日。
    GHQの特別な配慮で日本のプロとの対戦が実現した。
    林由郎、孫士均(小野光一)、中村寅吉、陳清水、栗原甲子男が出場した(程ケ谷CC、小金井CC)(12月)。
    ※林由郎、タモシャンタのトーナメントに招待されたが出場を辞退。

1952昭和27年

  • 7月1日JGAの事務局を千代田区丸の内永楽ビル内 野村事務所に設置。
  • 7月13日林由郎、中村寅吉、島村祐正、石井迪夫の4人がシカゴのタモシャンタでの全米ゴルフトーナメントと世界プロゴルフ選手権の2大会に出場のため渡米。プロ戦後初の海外遠征になる。
    当時JGA理事の野村駿吉が米国側との交渉の窓口となったが、実現までには、氏の国際的な顔の広さに負うところ大であった。
  • 10月8日〜10日日本オープン選手権に中村寅吉が初優勝、
    この年から新しい優勝カップがチャンピオンに渡されるようになった(川奈・富士コース)。
    ※「ワンパット10万円」のキャッチフレーズで話題になった読売プロゴルフ選手権開催される
    (程ケ谷CC)(10月30日〜31日)。
  • 12月16日JGA規則に大型球を制定。

1953昭和28年

  • ※読売新聞社主催「全日本女子ゴルフ選手権」に阿座上秋子が優勝(相模CC)(5月12日〜13日)。
    ※カナダカップ<現ワールドカップ>始まる (モントリオール)(6月2日〜3日)。
    ※林由郎、2度目のシカゴ遠征、世界ゴルフ選手権と全米ゴルフ選手権に参加(7月20日)。
    ※第1回全日本学生選手権開催(東京GC)(8月31日〜9月1日)。
  • 10月5日〜7日日本オープン選手権に孫士均(小野光一)が2度目の優勝(宝塚GC)、後半のラウンドには上位25位(タイを含む)までが進んだが、アマチュアは1人も残れず。

1954昭和29年

  • 8月20日〜22日第2回カナダカップに中村寅吉、石井迪夫が出場、日本は初参加で団体14位、個人で中村が14位になった。
    ※読売新聞社主催「全日本女子ゴルフ選手権」に西邑敦子が優勝(我孫子GC)(9月16日〜17日)。
    ※関東倶楽部対抗、関東シニア選手権、関西婦人選手権など開催される。

1955昭和30年

  • ※関東女子選手権が始まり、伊沢鈴子が勝つ(鷹之台CC)(6月2日)。
  • 7月13日〜16日日本アマチュア選手権に三好徳行が3連勝を達成(東京GC)、鍋島直泰、佐藤儀一に並ぶ記録となる。

1956昭和31年

  • ※全日本学生ゴルフ連盟が発足。会長は石井光次郎(3月19日)。
  • 6月2日〜10日JGAとタイムライフ誌共催で日本オリンピックチーム派遣募金として「日本ゴルフ週間」が全国的に行われる。
    ※第4回カナダカップに林由郎、石井迪夫のペアが出場し、団体4位タイの好成績を出して世界の注目を浴びる
    (英国・ウエントワース)。このあと2人は全英オープン選手権にも出場し、石井が36位に(6月24日〜26日)。
  • 9月18日〜20日日本オープン選手権に中村寅吉が2度目の優勝(霞ケ関CC・西)、
    ハワイ、フィリピン、台湾から8人のプロが参加。

1957昭和32年

  • 1月24日JGAは理事長制を廃止して、会長制に改組。石井光次郎が会長に就任。
  • 7月29日JGAが推進役となって日本プロフェショナルゴルフ協会が誕生し、
    初代理事長に安田幸吉が選任される(相模原GC)。
  • 10月24日〜27日第5回カナダカップが国際ゴルフ協会、読売新聞社、日本ゴルフ協会などの共催で開かれる(霞ケ関CC・東)。
    参加は30カ国、中村寅吉、小野光一のペアが団体戦に優勝、インターナショナル・トロフィー(個人戦)に中村が勝って日本のゴルフ界の名声を高めた。

1958昭和33年

  • 1月16日第6回極東オープン選手権(マニラ)に三好徳行、大橋一元が出場、戦後初のアマチュアの海外遠征となる。
    ※中村寅吉、小野光一がマスターズトーナメントに出場、
    中村が41位の成績を残す(オーガスタ)(4月3日〜6日)。
  • 5月3日JGA、世界アマチュア・ゴルフ評議会(WAGC)に加盟、野村駿吉が実行委員に選ばれる。
  • 10月8日〜11日JGAはセントアンドルーズで開かれた第1回世界アマチュア・チーム選手権に、ノンプレーイングキャプテン野村駿吉、選手として鍋島直泰、小栗市三、芝本順三、石本喜義を派遣、成績は20位。

1959昭和34年

  • 1月15日〜18日マニラで行われた第7回極東オープン選手権にJGAは細川護貞、石本喜義を派遣。
  • 3月18日元打球部会長、井上匡四郎が逝去。
  • 4月1日JGAは海外行事資金として来場者1人から5円の臨時会費を仰ぐ。
  • 5月6日アマチュア資格審査委員会を設置、委員長は野村駿吉氏。
    ※日本プロゴルフ選手権は、この年より日本プロゴルフ協会の主催となり、茨木カンツリー倶楽部で開催される。
    中村寅吉が3年連続優勝を飾る(7月7日〜10日)。
  • 9月28日〜10月1日日本オープン選手権に台湾の新星、陳清波が勝つ、プレーオフで島村祐正を降す(相模原GC・東)。
  • 10月8日〜9日JGAの主催で第1回の日本女子選手権が開催され、米国のE.ジャコラが優勝(東京GC)。

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