HistoryJGA年史

※敬称は略させていただききました。

2000平成12年

  • 7月4日〜8日日本アマチュア選手権は今年から5日間の日程になり、7月4、5日が各18ホールストロークプレー。
    36ホールストロークプレーの結果、32人(うち学生17人が通過)を選抜し、3日間にわたってマッチプレーで優勝が争われた。最終日の8日はベテランの和田博(東京五日市)と昨年の学生チャンピオン太田直己(日本体育大)という社会人と学生の対決になったが、国際試合を含め経験豊富な38歳のベテラン和田が5−4で制し、晴れて日本チャンピオンに輝いた。
    メダリストは谷口拓也(日本体育大)でスコアは2アンダーの142だった。
  • 10月3日〜7日日本女子アマチュア選手権もマッチプレーが採用され、その最初の選手権になった。
    日程も男子同様5日間というハードな強行日程となり、結局、最終日に勝ち残ったのは高校生の若い世代で古閑美保と紫垣綾花。ともに熊本・東海大第二高校の3年生同士の対戦になった。
    ゲームの流れは紫垣の一方的なものとなり、9−8という大差で紫垣の初優勝が決まった。
  • 10月12日〜15日尾崎直道が昨年に続いて日本オープン選手権の連覇を達成した。
    鷹之台カンツリー倶楽部での日本オープン開催は実に39年ぶり。会員の総意でコース設営、大会運営に万全の体制をとり、地元の協力を仰ぐという地域密着型の開催になった。

2001平成13年

  • 1901(明治34)年、神戸・六甲山上に英国人のアーサー・グルームが私的な4ホールのコースを造ったのが日本におけるゴルフコースの第1号だった。以後、ゴルフというスポーツは紳士、淑女のスポーツとして多くの愛好家に支えられながら、国民のスポーツとして発展してきた。日本全国にゴルフコースは2,000を超え、英米に次ぐゴルフの盛んな国に成長した。グルームがコースを造った年を日本のゴルフ元年として2001年を“ゴルフ100年”としてゴルフ関連団体と共同してさまざまな記念式典を行った。
  • 9月27日〜30日日本女子オープン選手権(室蘭ゴルフ倶楽部)は地域特有の強風に悩まされたが、ベテラン島袋美幸が302(+14)にスコアをまとめて初優勝。アマチュアの宮里藍(仙台・東北高)が310で5位タイに食い込む健闘。
  • 10月11日〜14日日本オープン選手権は好天に恵まれた東京ゴルフ倶楽部に全国の精鋭132人が参加し、手嶋多一が通算277(-7)で初優勝を飾った。連日、めまぐるしく首位争いの顔ぶれは変ったが、第3ラウンドで首位に立った手嶋は最終ラウンドも堅実なゴルフを展開し、2位の米山に4打の差を付けて逃げ切った。
    アマチュアの宮里優作が285で7位タイになって話題になった。宮里兄、妹はこの年の男女オープン選手権でローアマに輝く大健闘をした。
  • 10月15日“日本のゴルフ100年”を祝う記念レセプションが10月15日、海外からの賓客を含む400余人が出席して東京のホテルで開催された。米ゴルフ協会のフォーランド氏、R&Aキャプテンのシマーズ氏らから祝辞が寄せられ“日本のゴルフ100年”を祝った。この機に日本のゴルフの発展に貢献のあった大谷光明元JGAチェアマン以下53人の先達を顕彰し、その偉業を讃えた。

2002平成14年

  • 4月17日〜19日第24回クィーンシリキットカップ・アジア女子アマチュア招待ゴルフチーム選手権は、マレーシアのア・ファモサリゾートで開催され、宮里藍(東北高2年)、古屋京子(福岡大3年)、上原彩子(パームヒルズ)の3人で臨んだ日本チームが韓国とのプレーオフの末、5年ぶり6度目の優勝を果たした。
  • 5月8日〜10日ボナラックトロフィー2002(アジア太平洋選抜VS欧州選抜対抗戦)は廣野ゴルフ倶楽部で開催され、川田太三キャプテン率いるアジア太平洋選抜チームは地の利を生かして第1日の劣勢を跳ね返し2日目に同点に追いつくと、最終日のシングルスで健闘して18—14で逆転勝利を収めて初めてトロフィーを手中にした。
    ボナラックトロフィーとはR&A(ロイヤルアンドエンシェントゴルフクラブ)のキャップテンを務めたサー・マイケル・ボナラック氏の提唱で創始された欧州とアジア太平洋の地域対抗戦で、アジア太平洋選抜チームには日本から宮里優作(東北福祉大4年=2001年日本アマチャンピオン)と藤島晴雄(東北福祉大1年)の二人が出場した。
  • 6月13日今年度の全米オープンゴルフ選手権はニューヨーク州のベスページステートパークで行われ、タイガー・ウッズが277(-3)で2年ぶり2度目の優勝をとげた。この選手権に出場した丸山茂樹は第2Rの14番でホールインワンを出して脚光を浴びた。通算289(+3)で16位タイ。
    アマチュアの清田太一郎(日本体育大)が日本人のアマチュアとしては冨永浩(成城大卒、現在はプロ)以来17年ぶりに出場したが、本戦の前半でカットされた。
  • 10月3日〜6日第14回アジア競技大会は韓国・釜山で開かれ、ゴルフ競技に出場した日本チーム男子(池田力、藤島豊和、藤田大、宮里優作)は台湾、韓国に次いで団体3位の銅メダル、同女子(宮里藍、横峯さくら、上原彩子)は地元強豪の韓国に逆転されて2位となり、銀メダルを獲得した。
    個人は宮里優作が4位、藤島豊和が9位。女子個人戦は宮里藍が通算286打のスコアで金メダルに輝いた。
    アジア競技大会のゴルフ競技で女子の金メダルは宮里藍が初めて。
    今回の釜山大会には男子16か国、女子は6か国が参加した。
  • 12月12日〜15日ゴルフの国別対抗戦EMCワールドカップは12月15日、メキシコのプエルトバジャルタで最終日の競技が行われ、日本からは丸山茂樹、伊沢利光のペアが出場し、チームスコア252打で追いすがる米国を振り切って優勝した。
    日本がワールドカップに優勝したのは1957(昭和32)年、カナダカップといわれた時代、中村寅吉、小野光一組が勝って以来、45年ぶりの快挙になった。
  • 12月13日日本のゴルフ界が待ちこがれていたゴルフ場利用税の一部改正が実現し、平成15年の4月から身体障害者、18歳未満のゴルファー、学校教育法(第1条)に規定する学校の先生、生徒および教育者(保健体育の実技または公認の課外活動の場合に限る)、70歳以上のゴルファー、国民体育大会の選手に対してはゴルフ場利用税が非課税扱いとなる。同月13日に開かれた自民党税制調査会の『平成15年度税制大綱』で明らかになった。
    日本ゴルフ協会がゴルフ場利用税廃止運動を起こして以来、初めての朗報で、これまでに全国のゴルファー840万人の署名が集まった。

2003平成15年

  • 2月7日〜9日ハワイのパールオープンに13歳の少女ゴルファー、ミシェル・ウィーが登場して話題になる。
    54ホールを224で回り、43位に。
  • 3月7日〜9日女子プロの具玉姫(韓国=ク・オッキ)がダイキンオーキット(沖縄・琉球GC)の2日目に1ラウンド62のスコア(-11)をマークした。福嶋晃子の63を1打しのいだ。
  • 4月10日〜14日第67回マスターズ・トーナメントにカナダのマイク・ウィア(33歳)がレン・マッティース(32歳)とのプレーオフを制して初優勝。初の左利き優勝者に。
  • 4月30日女子プロゴルフ協会の樋口久子会長がゴルフの世界殿堂(米・フロリダ州)入りが決定。
    日本人としては初めての快挙。
    1977年、米国女子プロゴルフ選手権優勝などの実績が評価された。1996年に日本女子プロゴルフ協会長に就任。
  • 5月22日〜25日米国男子プロゴルフツアーのバンク・オブ・アメリカ・コロニアルに女子プロのアニカ・ソレンスタム(32歳=スウェーデン)が出場し、世界のゴルフ界から注目される。ソレンスタムは結局、前半の36ホールでカットされた。男子の競技に女子が出場したのは1945年のロサンゼルスオープンでプレーしたベーブ・ザハリアス(米=1932年のロス五輪女子槍投げ、80mハードルの金メダリスト)以来、58年ぶりのこと。
  • 8月この年度の上半期(1月〜6月)のゴルフ場の倒産件数が前年を上回る。
    53件の倒産があり、負債総額は1兆3572億円にのぼる。
  • 9月26日〜28日ミヤギテレビ杯ダンロップ(宮城県・利府GC)にアマチュアの宮里藍(東北高3年)がプロの強豪を抑えて優勝。
    清元登子(日本女子プロゴルフ協会副会長)が1973年のトヨトミレディースに勝って以来、30年ぶりの快挙。
  • 10月6日日本プロゴルフの草分け的な存在だった安田幸吉氏(日本プロゴルフ協会初代理事長)が肺炎のため東京都内の病院で死去。98歳。晩年はコース設計の分野で活躍し、多くのコースを手がけた。

2004平成16年

  • 3月4日〜7日昨年、ミヤギテレビ杯で30年ぶりのアマチュア優勝を果たし注目を集めた宮里藍が2004年女子ツアー開幕戦のダイキンオーキッドレディースでプロ入り初優勝。地元沖縄での開幕戦を女子プロゴルフ界最年少(18歳4ヶ月)で制した宮里は、その後も活躍を続け、実質ルーキーシーズンに年間5勝をあげ、賞金ランキング2位となり女子プロゴルフ界の興隆の中心となった。
    宮里は10代のプロスポーツ選手として史上初めて賞金獲得額が1億円を超え、その一挙手一投足が社会的に注目を集める存在となった。
  • 4月22日青木功プロが世界ゴルフ殿堂入り。日本人では前年の樋口久子(日本女子プロゴルフ協会会長)に次いで2人目の快挙。青木は日本オープンなど国内56勝を含む生涯73勝あげ、日本人で唯一世界6大ツアー(PGA TOUR、チャンピオンツアー、日本ゴルフツアー、日本シニアツアー、ヨーロッパツアー、オーストラリアツアー)で優勝するなど、海外を舞台に活躍していることが受賞の理由。
  • 6月21日〜24日全米オープン(シネコックヒルズ・NY)で丸山茂樹が4位に入る健闘を見せた。
    丸山は全米を代表する難コースと名高いシネコックヒルズで、第1ラウンド66でトップタイスタート。
    2日目も68とスコアを伸ばしたが、3日目の74が最後まで響き、日本人男子初のメジャータイトル獲得のチャンスを逃した。
  • 9月30日〜10月3日日本女子オープンゴルフ選手権競技(広島CC八本松コース)でプロ転向後3試合目となる横峯さくらが2位タイに入り、翌年の女子ツアー賞金シードを確実にした。横峯はアマチュア時代に宮里藍のライバルとしてしのぎを削った強豪。アマチュアでの女子ツアー優勝やプロ初優勝などは宮里に先を越されたが、宮里も出場したLPGA新人戦を制するなどお互いがプロ入りしてからも良きライバルとして、女子プロゴルフの注目を集めている。

2005平成17年

  • 2月11日〜13日オーストラリアや韓国など20ヵ国44名が参加し南アフリカのファンコードホテル&CCで開催された「第1回女子ワールドカップ」に日本代表の宮里藍・北田瑠衣組が出場。
    日本代表は3日間通算3アンダーパーで韓国、フィリピンに2打差をつけて優勝を果たした。
  • 5月23日岡本綾子が世界ゴルフ殿堂入り。日本人では樋口久子、昨年の青木功に続いて3人目の快挙。
    岡本は海外での18勝を含む通算62勝を記録。
    1987年にはUSLPGAツアーで年間4勝をあげ、日本人として初めてUSLPGAツアー賞金女王にも輝いた。
  • 9月20日〜23日ノムラカップ・アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権が成田ゴルフ倶楽部で開催された。
    日本での開催は30年ぶり。
    競技は、オーストラリアチームが大会最少記録タイの50アンダーパーで大会4連覇を果たした。
  • 9月29日〜10月2日第38回日本女子オープンゴルフ選手権を神奈川県の戸塚カントリー倶楽部・西コースで開催。宮里藍が通算5アンダーパーで初優勝。20歳105日での優勝は、1968年大会の樋口久子が記録した23歳3ヶ月を塗り替える日本女子オープン史上最年少。また、プロ初戦の諸見里しのぶが5位と健闘。
    また、4日間通して4万8,677人のギャラリーが観戦し、女子ゴルフのギャラリー入場者数記録を更新した。
  • 10月13日〜16日第70回日本オープンゴルフ選手権競技が、1967年大会以来38年ぶりに兵庫県の廣野ゴルフ倶楽部で開催された。
    競技は、片山晋呉が通算2アンダーパーで日本オープン初優勝を果たした。
    片山は、この年日本OPを含め2勝を挙げ2年連続の賞金王に輝いた。
  • 11月3日〜6日第15回日本シニアオープンゴルフ選手権競技が埼玉県の嵐山カントリークラブで開催。
    シニアオープン2度目の出場となる中嶋常幸が通算6アンダーパーで初優勝を果たした。
    中嶋は、この優勝で史上初めて日本アマ、日本オープン、シニアオープンのJGA主催ナショナル選手権3競技を制した。

2006平成18年

  • 4月13日〜15日この年からUSLPGAに本格参戦した宮里藍がTakefuji Classicで6位タイに入賞。その後、Mudonaldユs LPGA Campionshipで3位タイに入るなどこの年のUSLPGAマネーランキング22位に。国内でも出場2試合連続優勝を果たすなど、活躍を見せた。
  • 10月26日〜29日茨木CC・西コース(大阪府)で開催された第39回日本女子オープンゴルフ選手権で、Jeong Jang(韓国)が通算9アンダーパーで初出場初優勝を果たした。連覇の期待がかかった宮里藍は、6打差の3位に終わった。最終ラウンドが雨にたたられながらも、43,433人のギャラリーが訪れ、大変な盛り上がりを見せた大会となった。
  • 10月12日〜15日霞ヶ関CC・西コース(埼玉県)で開催された第71回日本オープンゴルフ選手権競技は、P.シーハン(オーストラリア)が通算7アンダーパーで初優勝を果たした。連覇を狙った片山晋呉は、5打差5位タイに終わった。シーハンは、オーストラリア出身の選手では、1997年大会のC.パリー以来9年ぶり2人目の日本オープン覇者となった。
  • 10月18日〜21日南アフリカで開催されたエスピリトサントトロフィー世界女子アマチュアゴルフチーム選手権で、森田理香子が第1Rを個人戦首位に立つ活躍で、チーム戦も首位スタート。森田はその後も粘りのゴルフで、世界女子アマ初出場ながら個人戦2位の好成績を残した。また、日本チームも3打差5位タイの結果となった。競技は、南アフリカが26年ぶりのホスト国優勝を果たした。
  • 10月26日〜29日桑名CC(三重県)で開催された第16回日本シニアオープンゴルフ選手権競技は、中嶋常幸が室田淳を1打差で振り切り通算13アンダーパーで大会2連覇を果たした。中嶋はこの年、日本シニアプロゴルフ選手権を制したほか、レギュラーツアーでも4年ぶりの優勝を果たし、ツアー通算48勝を記録した。
  • 12月8日〜11日カタール(ドーハ)で開催されたアジア競技大会ゴルフ競技。女子チーム(佐伯三貴、原江里菜、宮里美香)が団体銀メダルを獲得。7月の世界ジュニア、8月の日本ジュニアも制した宮里美香が個人銀メダルを獲得した。

2007平成19年

  • 5月17日~20日岡山県の東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで開催された男子ツアー競技「マンシングウェアオープンKSBオープン」で杉並学院高校1年生の石川遼がツアー初出場で史上最年少優勝を果たした。その後、石川は日本アマ出場、日本ジュニアに優勝。プロツアーにも8試合出場を果たすなど、男子ゴルフ界を盛り上げる原動力となった。
  • 9月27日~30日北海道の樽前CCで開催された日本女子オープンで、諸見里しのぶが不動裕理を1打差で振り切り、通算6アンダーパーで女子オープン初優勝を果たした。連覇を狙ったJeong Jang(韓国)は5打差の5位に終わった。
  • 10月11日~14日神奈川県の相模原GCで開催された日本オープンは、谷口徹が最終ラウンドに66のベストスコアをマークして、6打差を逆転して通算5アンダーパーで2度目の戴冠を果たした。連覇を狙った片山晋呉は、2打差の2位に終わった。
  • 10月25日~28日熊本県のくまもと中央カントリークラブで開催された日本シニアオープンは、最終ラウンドを6打差5位タイでスタートした青木功が、ベストスコアの65をマークして室田淳を逆転。65歳の青木は、自身競技では初となるエージシュートを達成する会心のプレーで大会5度目の優勝を果たした。
  • 11月3日(社)日本女子プロゴルフ協会の樋口久子会長が、紫綬褒章を受賞した。同章は、学術、芸術、スポーツ分野の功労者に贈られるもので、ゴルフ界からは、初の受賞となった。

2008平成20年

  • 5月28日~30日アジア太平洋地域で最大の女子アマチュアチーム選手権である「クィーンシリキットカップアジア太平洋女子招待ゴルフチーム選手権」が千葉県の袖ヶ浦カンツリークラブ・袖ヶ浦コースで開催された。第30回の記念大会となる本年は、14の国と地域から41名の選手が出場。13年ぶり3度目のホスト国として迎える日本チームは、藤本麻子、宮里美香、森田理香子の3名でチームを編成し、自国優勝を目指したが、韓国チームに惜敗し2位に終わった。
  • 9月25日~28日アジア太平洋ゴルフ連盟とパナソニック、日本ゴルフ協会の共催で「2008アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン」が大阪府の茨木カンツリー倶楽部・西コースで開催された。アジア太平洋地域のトッププレーヤーや歴代メジャーチャンピオンが出場し、盛大に開催された本選手権は、谷原秀人が通算16アンダーパーで初優勝を果たした。
  • 10月2日~5日第41回日本女子オープンゴルフ選手権競技が新潟県の紫雲ゴルフ倶楽部・加治川コースで開催された。2年ぶり出場となる宮里藍、本年USLPGAに参戦している上田桃子らが出場し、盛り上がりを見せた本選手権を制したのは、李知姫。李は、通算4アンダーパーでツアー11勝目を初のメジャー優勝で飾った。なお、連覇を狙った諸見里しのぶは、17位タイに終わった。
  • 10月16日~19日第73回日本オープンゴルフ選手権競技が福岡県の古賀ゴルフ・クラブで開催された。同クラブで日本オープンが開催されるのは11年ぶり2回目。国内屈指の難コースを制したのは、2005年大会を制した片山晋呉。片山は、終始安定したプレーで出場選手中唯一人の通算1アンダーパーで優勝。片山はこの優勝でツアー勝利数を25とし、史上7人目となる永久シード権を獲得した。なお、4打差2位に本年プロ転向を果たした石川遼が入った。
  • 10月23日~26日第18回日本シニアオープンゴルフ選手権競技が埼玉県の狭山ゴルフ・クラブ東/西コースで開催された。競技は4日間首位を守り通した中嶋常幸が通算15アンダーパーで3度目のシニアオープン優勝を完全優勝で手中に収めた。大会連覇を狙った青木功は、12位タイに終わった。
  • 10月30日~11月2日昨年のツアー競技で史上最年少優勝を果たし本年16歳3ヶ月の史上最年少でプロ転向した石川遼がマイナビABCチャンピオンシップでプロとしてツアー初優勝を飾った。石川はツアー初戦で5位タイ、その後11試合目で3位入賞を果たしたが、ツアー前半戦は予選落ちが続くなど苦戦。しかし、日本オープンで2位入賞を果たしたのを機に復調の兆しを見せ、この試合でプロ初優勝を果たした。その後もダンロップフェニックスで2位に入るなど石川の活躍は続き、史上最年少で獲得賞金総額が1億円を越えるなど、石川フィーバーを巻き起こした。
  • 11月7日~9日シニアツアー競技の鬼ノ城シニアオープンで青木功が最終ラウンドに自身2度目のエージユートとなる66をマーク。渡辺司と首位タイに並び4ホールに及ぶプレーオフを制して国内シニアツアー7勝目、通算85勝目をあげた。なお、66歳2ヶ月の優勝は、昨年のシニアオープンで樹立した65歳2ヶ月を更新する最年長優勝記録となった。
  • 11月18日多年にわたり国内外のゴルフ界に貢献した功績者として青木功氏が紫綬褒章を受賞した。同章は、学術、芸術、スポーツ分野の功労者に贈られるもので、ゴルフ界からは2007年の樋口久子氏に続き2人目の受章となった。

2009平成21年/令和元年

  • 4月8日~12日オーガスタナショナルゴルフクラブで開催されているゴルフの祭典「マスターズ」で5年連続8回目の出場となる片山晋呉が通算10アンダーパーで単独4位。この成績は2001年の伊澤利光の記録に並ぶ日本人選手再考順位。
    また、17歳の石川遼が大会史上2番目の若さで出場。第2ラウンドを終えて通算6オーバーパーとスコアを落とし、メジャー初挑戦は惜しくも予選通過はならなかった。
  • 6月11日~14日北海道の恵庭カントリー倶楽部で開催された第77回日本プロゴルフ選手権大会で、池田勇太が通算14アンダーパーでプロ入り初優勝をメジャー大会で勝ち取った。
    荒天のため第1日が中止になり、3日間で72ホールを消化する事態となった本大会。前週のツアー選手権で優勝争いを演じながら最終Rでスコアを崩した池田が、第1Rで首位タイに並ぶと、第2Rから独走態勢を築いて、一気に頂点に上り詰めた。
    池田は本大会の優勝により5年間のシード権を獲得するとともに、この年年間4勝をあげ、最終戦まで石川との史上最年少賞金王を争うなどの活躍を見せた。
  • 9月24日~27日アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップパナソニックオープンが京都府の城陽カントリー倶楽部で開催された。
    京都府のゴルフ倶楽部では、男女を通じて初のツアー競技開催となったこともあり、4日間を通じて37,000人を超えるギャラリーが詰めかけた。
    競技は、丸山大輔が通算8アンダーパーで優勝。2005年以来となるツアー通算2勝目をあげた。
  • 10月1日~4日千葉県の我孫子ゴルフ倶楽部で第42回日本女子オープンゴルフ選手権競技が開催された。競技は、横峯さくらと宋ボベが通算11アンダーパーで首位タイとなり、18番ホールでプレーオフを行った結果、1ホール目にバーディ奪った宋がパーに終わった横峯を下し初優勝を飾った。
  • 10月9日スイスのコペンハーゲンで開催された国際オリンピック委員会(IOC)理事会において、2016年にリオ・デ・ジャネイロで開催されるオリンピックよりゴルフが正式競技となることが決定した。
    ゴルフがオリンピックの正式競技となるのは、1904年のセントルイス大会以来112年ぶり。
  • 10月15日~18日第74回日本オープンゴルフ選手権競技が、埼玉県の武蔵カントリークラブ・豊岡コースで開催された。
    4日間で4万5,000人を超えるギャラリーが観戦した本選手権は、小田龍一と石川遼、今野康晴が通算6アンダーパーで首位タイに並び、18番ホールでプレーオフが行われた。プレーオフは2ホール目に石川と今野がパーに終わったのに対し、小田がバーディを決めて決着。小田はツアー初勝利が日本オープンというビックタイトルとなった。
  • 10月29日~11月1日第19回日本シニアオープンゴルフ選手権競技が、滋賀県の琵琶湖カントリー倶楽部/栗東・三上で開催された。
    競技は、通算8アンダーパーでホールアウトした渡辺司がシニアオープン初優勝を果たした。
  • 11月26日~29日前週までメジャー2勝を含む5勝をあげ賞金ランキングトップに立つ諸見里しのぶ、年間4勝の横峯さくら、有村智恵、全美貞による賞金女王争いは、LPGAツアー最終戦にもつれ込んだ。ツアー最終戦は横峯が優勝を果たし、諸見里を逆転し初の賞金女王に輝いた。
    なお、この年の賞金ランキング上位4人はツアー史上初めて獲得賞金が1億円を超えた。
  • 12月3日~6日ともに年間4勝を上げた18歳の石川遼と23歳の池田勇太の賞金王争いは、ツアー最終戦に持ち込まれた。
    どちらが賞金王となっても史上最年少となる若い2人の争いは、池田が23位タイに終わったのに対し、石川が19位タイに入って決着。18歳での賞金王獲得は、1973年に26歳で賞金王となった尾崎将司の記録を8歳更新する史上最年少となった。

  • ハンディキャップインデックス査定システム J-sysとは
  • JGA個人会員募集
  • 世界アマチュアゴルフランキング
  • JGA主催オープン競技ロゴダウンロード
  • クリーンなスポーツを守るアンチ・ドーピング JADA
  • アスリートの盗撮・写真・動画の悪用、悪質なSNS投稿は卑劣な行動です。
  • JOCオリンピック選手強化寄付プログラム
  • 日本ゴルフサミット会議
  • 経済構造実態調査